藤堂家とは? わかりやすく解説

藤堂氏

(藤堂家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 06:02 UTC 版)

藤堂氏(とうどうし、とうだうし)は、武家華族だった日本氏族近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町在士)が発祥。戦国時代藤堂高虎が出て江戸時代津藩を領する外様大名となり、維新後は華族の伯爵家に列した[1]


  1. ^ 小田部雄次 2006, p. 326.
  2. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)/百科事典マイペディア/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/旺文社日本史事典 三訂版/世界大百科事典 第2版『藤堂氏』 - コトバンク
  3. ^ a b c d e 太田亮 1934, p. 3886.
  4. ^ 新田完三 1984, p. 533.
  5. ^ 藤堂高虎の父、虎高について、来歴、姓(源平藤橘)、先祖系譜、幼名、字などについて記述がある資料はある...”. レファレンス協同データベース. 2024年2月9日閲覧。
  6. ^ 榎原雅治「藤堂家始祖『三河守景盛』の素顔」『歴史書通信』196号、2011年。 
  7. ^ 藤田 2018, p. 48.
  8. ^ 島根県史. 7 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
  9. ^ 『松江市史史料編3(古代中世1)』松江市、3。 
  10. ^ 大日本仏教全書. 136 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
  11. ^ 東浅井郡志. 巻4 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
  12. ^ a b 朝日日本歴史人物事典『藤堂高虎』 - コトバンク
  13. ^ a b 新田完三 1984, p. 533-537.
  14. ^ 新田完三 1984, p. 535.
  15. ^ 浅見雅男 1994, p. 112.
  16. ^ 新田完三 1984, p. 537.
  17. ^ 小田部雄次 2006, p. 325.
  18. ^ 浅見雅男 1994, p. 111.
  19. ^ 小田部雄次 2006, p. 333.
  20. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  21. ^ a b 松田敬之 2015, p. 474.
  22. ^ 小田部雄次 2006, p. 355.
  23. ^ 松田敬之 2015, p. 473.
  24. ^ 浅見雅男 1994, p. 253.
  25. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 90.
  26. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 279.
  27. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 692.
  28. ^ ““色白の北陸娘”は藤堂高虎の末裔 いざトップレーサーへ”. スポーツニッポン. (2012年11月17日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/11/17/kiji/K20121117004573470.html 2018年5月26日閲覧。 
  29. ^ ただし、本人のブログでの発言にとどまる。
  30. ^ People” (英語). INDA. 2022年4月28日閲覧。
  31. ^ 三井乗綱の子。
  32. ^ a b 丹羽長秀の3男。
  33. ^ a b 藤堂出雲家・藤堂高明の子。
  34. ^ a b 藤堂出雲家・藤堂高武の2男。
  35. ^ 藤堂出雲家・藤堂高武の4男。
  36. ^ 藤堂出雲家・藤堂高周の長男。
  37. ^ 藤堂出雲家一族・藤堂高璞の子。
  38. ^ 名張藤堂家・藤堂長徳の2男。
  39. ^ 織戸正満の4男。
  40. ^ 藤堂高治の弟。
  41. ^ 藤堂出雲家・藤堂高英の子。
  42. ^ 藤堂宗家・藤堂高嶷の8男。
  43. ^ 藤堂宗家・藤堂高兌の子。
  44. ^ 藤堂采女家・藤堂元晋の子。
  45. ^ 子爵・竹内治則の子。


「藤堂氏」の続きの解説一覧

藤堂家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 18:25 UTC 版)

自来也忍法帖」の記事における「藤堂家」の解説

藤堂 蓮之介とうどう れんのすけ) 伊勢藤堂藩三十万石跡取り江戸城内において、将軍家斉と中野石翁御前怪死する。 鞠姫(まりひめ藤堂蓮之介の妹。美しく気丈な姫。石五郎花嫁となるが、兄・之介の怪死を、幕府陰謀信じている。 藤堂和泉守 (とうどういずみのかみ) 伊勢藤堂藩三十万三九百五十石藩主綱手の方 (つなでのかた) 藩主藤堂和泉守御国御前藤堂竜丸の母。(三すくみの「なめくじ」) 藤堂 竜丸とうどうたつまる) 之介亡きあとの藤堂家唯一の男子数え年二歳徳川五郎とくがわ いしごろう) 将軍家御曹司家斉寵姫お美代の方息子にして、家斉三十三番目の世子。唖(おし)・白痴だが祖父中野石翁により藤堂家に婿入りする

※この「藤堂家」の解説は、「自来也忍法帖」の解説の一部です。
「藤堂家」を含む「自来也忍法帖」の記事については、「自来也忍法帖」の概要を参照ください。


藤堂家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 05:17 UTC 版)

征途」の記事における「藤堂家」の解説

藤堂明衰亡の国」主人公のひとり。レイテ沖海戦時点では海軍中佐。 藤堂家は明の祖父の代から帝国海軍軍人であった戦艦大和砲術長としてレイテ沖海戦参加していたが、海戦中に僚艦砲弾流れ弾となって大和艦橋命中し森下艦長、能副長の他、栗田長官宇垣戦隊司令官以下艦隊司令部面々ことごとく戦死してしまう。明は後部艦橋配置だったため難を逃れるが、大和の中で生存する兵科将校最上級最先任者として大和指揮を執らざるを得なくなってしまう。その後艦隊レイテ湾突入米軍上陸部隊殲滅成功し米軍によって「セント・クリスピンの虐殺」と名づけられるほどの戦果挙げた。翌1945年内地一時帰還し大佐昇進して戦艦武蔵艦長就任するが、長女沖縄戦で斃れ、妻も本土への避難途中に敵潜の攻撃により没した後だった。やがて沖縄水上特攻参加することとなり、唯一内地に残る二男の進を友人堀井託して出撃台風にまぎれる事で沖縄への接近成功し沖縄沖海戦敵艦数隻を撃沈する戦果挙げたのち、自らも武蔵とともに壮絶な戦死遂げた死後少将特進藤堂守衰亡の国」「アイアン・フィスト作戦」「ヴィクトリー・ロード」全て通じた主人公ひとりで、明の長男1945年海軍少尉流星改(守の乗機は、愛知航空機技師だった「先生」によってエンジン密かに換装された流星一型)のパイロットとして北海道千歳基地ソ連軍参戦備えていた。石狩湾領海侵犯したソ連駆逐艦を自らの流星改が撃沈した事件石狩湾事件)を口実としてソ連対日参戦し、守も樺太サハリン)・北海道北部をめぐる攻防戦最前線奮闘するが、乗機エンジントラブルソ連軍による対空射撃被弾で、樺太真岡付近に不時着ソヴィエト軍の捕虜になるまでに遭遇したある出来事が深いトラウマとなり、妻サーシャ本名:アレクサンドラ・スターリナ・コンドラチェンコ)と出会うまで長年にわたり「男性として大変な苦悩」を背負うこととなる。日本分断後は北日本人民空軍戦闘機パイロットに転身祖国解放戦争北海道戦争北日本側の呼称)で人民空軍初のエース・パイロットとなり、ヴェトナム戦争において被弾撃墜され負傷するまで第一線活躍した共産主義国家軍人として生きること葛藤抱きながらも、最終的に空軍元帥人民空軍総司令官まで昇進し北日本軍事力事実上掌握したことから西側諸国より「イエロー・ゲーリング」と呼ばれるまでになる。しかしやはり共産主義国家軍人であることに耐えられず、川宮哲夫表向き手を組み哲夫説得して先制攻撃実施し統一戦争勃発させるとともに、裏では義兄コンドラチェンコ宗像たちと共に豊原政権打倒目的とした行動を起こす。自らはサーシャとの間に一児を得るも夭折その際心労によって、サーシャもまた病死している。戦後半世紀の間、弟の進と直接顔を合わせたのはただ一度であった藤堂進アイアン・フィスト作戦」および「ヴィクトリー・ロード」主人公ひとりで、明の次男大和就役した日に生まれた父の死後はその友人であった堀井の家で育てられ堀井の娘で一歳年上雪子結婚長じて一般大学ROTCから海上自衛隊入りヴェトナム派遣される湾岸戦争では一等海佐として護衛艦「やまと」の艦長勤め終結後海将補として第二航空護衛隊群司令就任その後無任所海将補として退役を待つ身だったが、統一戦争勃発に伴い護衛艦隊司令部からの要請で第2機動任務群第8護衛隊司令として「やまと」に乗艦第3次日本海海戦参加した他、豊原近郊戦略打撃軍IRBM基地への艦砲射撃指揮した統一戦争終結後海将補退役藤堂礼子 明の妻。那覇郊外造り酒屋娘。 夫の出征中に身を寄せていた実家から戦火避け次男・進とともに貨物船にて呉に疎開ようとするが、疎開船が米潜水艦雷撃を受け沈没漂流中に溺死するその際、進は偶然同船した父親知己海軍軍人(後に自衛官となったの上官になる)よりもらった救命胴衣と、疎開船撃沈した潜水艦艦長救助により、九死に一生得ている。 藤堂貴子 明の長女礼子と進の疎開同行することを拒否して沖縄に残る。沖縄戦混乱の中、補助看護婦として徴用されていたが、逃げ遅れた幼い兄妹助けようとして避難していた洞窟から走り出たところ、グラマンTBFから機銃掃射浴びて死亡藤堂拓馬 進の長男航空自衛隊戦闘機パイロットで、TACネームは「ビッグ・ガン」。 1982年南北休戦会談(守と進も出席が行われるなか、搭乗するF15CJ改イーグルが「領空侵犯機」として日本民主主義人民共和国・第125防空中隊ミサイル攻撃により撃墜され戦死。なお、拓馬戦死する結果となった領空侵犯事件」は、公安調査情報庁(SRI)が守を南日本脱出させよう仕掛けた政治工作排除する意図をもって国家保安省NSD長官滝川仕組んだものであった藤堂輝男 「ヴィクトリー・ロード」主人公ひとりで、進の次男エリート肌の兄に対し高校までは不良少年であった。しかし、警察沙汰事件起こしたことをきっかけ更生し海上自衛隊入隊戦闘機パイロットとなり、統一戦争ジェット時代初のダブル・エース・パイロットとして空戦史に名を残すTACネームは「テディ・ベア」。1995年には宇宙往還機第一号の機長選ばれる藤堂美咲男の妻旧姓土井父母ともに死別し(父はSRI職員であったが、美咲は「公務員だった」ということ以外知らない祖父母育てられ経緯から、常に孤独求め他人に心を開かない少女時代を過ごす。非常に明晰な頭脳持ち主であり、防衛大卒業して海上自衛隊入隊後は美咲自身才覚のほかに自衛隊上層部PR戦略もあり、驚異的なスピード昇進重ねる。しかし、三等海佐として航空護衛艦しょうかく勤務中、パイロットの輝男と出会ったことで孤独から解放され自衛隊辞め輝男と結婚する道を選ぶ。のちに輝男との間に一女舞子生む

※この「藤堂家」の解説は、「征途」の解説の一部です。
「藤堂家」を含む「征途」の記事については、「征途」の概要を参照ください。


藤堂家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/13 03:47 UTC 版)

KAGETORA」の記事における「藤堂家」の解説

藤堂沙耶とうどう さや) 由姫の母であり現在の当主藤堂古武術師範で、かなり強い。影虎を「お役目(由姫の武術指南役)」に任命するあっさりした人で、外出居候許可はすぐにOKする。 藤堂沙霧とうどう さぎり) 由姫の祖母であり先代当主沙耶対照的厳格な性格持ち主今は亡き夫は風雷忍びだった。風間天鷲影虎の父)とは親密間柄らしい。 藤堂 巴とうどう ともえ) 由姫の従姉藤堂合気柔術道場師範代才色兼備。 由姫や影虎より3つ年上で、現在は大学通いつつ師範代務めている。由姫からは姉のように慕われていて、「巴お姉ちゃん」と呼ばれている。 影虎が由姫にとって信頼できる人間かどうか試そう誘惑するが、実は彼女自身影虎に対してまんざらでもなかった様子藤堂武弥とうどう たけみ) 由姫の父。考古学者でめったに家に帰らない。由姫の運動音痴原因は武弥にある。 藤堂家の婿養子沙耶違って温和な性格のため尻に敷かれていて、彼女とは家が隣同士幼なじみだったという。 藤堂由那とうどう ゆな) 番外編に登場享保時代の藤堂家の次期当主刺客恐れない藤堂武術の達人で強い。しかし、幽霊や暗い場所が苦手らしい。 虎好きなのだが、素直になれない

※この「藤堂家」の解説は、「KAGETORA」の解説の一部です。
「藤堂家」を含む「KAGETORA」の記事については、「KAGETORA」の概要を参照ください。


藤堂家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:47 UTC 版)

エール (テレビドラマ)」の記事における「藤堂家」の解説

藤堂清晴とうどう きよはる) 前述裕一の恩師・幼なじみ」を参照藤堂昌子とうどう しょうこ後述川俣銀行」を参照藤堂晴吉(とうどう はるきち) 演 - 遠藤たつお晴の父親で元軍人陸軍からの要請で、満州視察相談役として出征した息子には、自分と同じ軍人になってもらいたかったという思い強く教師になったことを未だに納得しておらず、清晴が久々に実家帰った時は互いにぎこちない態度だったが、嫁の昌子お腹の中赤ん坊動いたことを話題出した時は、どこにでもいる「初孫楽しみにしている初老の男性」であり、完全に冷酷な人物ではないようである。 その後詳細不明だが、彼が元・陸軍将校なければ召集令状が来る当時の上年齢をすでに越えていた清晴が予備役将校として出征することはなく、「福島三羽ガラス」が恩師惜別する遠因作ってしまっている。 藤堂憲太(とうどう けんた) 演 - 宇佐美仁 清晴と昌子一人息子で晴吉の初孫初登場時5歳裕一達の帰郷で、裕一実家の庭で彼と遊んでいた時にト音記号木の枝描き褒められた。 戦後、父のように眼鏡似合少年になっており、ラジオドラマ鐘の鳴る丘』を母と共に聴いている。

※この「藤堂家」の解説は、「エール (テレビドラマ)」の解説の一部です。
「藤堂家」を含む「エール (テレビドラマ)」の記事については、「エール (テレビドラマ)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤堂家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤堂家」の関連用語

藤堂家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤堂家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤堂氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの自来也忍法帖 (改訂履歴)、征途 (改訂履歴)、KAGETORA (改訂履歴)、エール (テレビドラマ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS