藤堂氏
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藤堂氏(とうどうし、とうだうし)は、武家・華族だった日本の氏族。近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町在士)が発祥。戦国時代に藤堂高虎が出て江戸時代に津藩を領する外様大名となり、維新後は華族の伯爵家に列した[1]。
- ^ 小田部雄次 2006, p. 326.
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)/百科事典マイペディア/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典/旺文社日本史事典 三訂版/世界大百科事典 第2版『藤堂氏』 - コトバンク
- ^ a b c d e 太田亮 1934, p. 3886.
- ^ 新田完三 1984, p. 533.
- ^ “藤堂高虎の父、虎高について、来歴、姓(源平藤橘)、先祖系譜、幼名、字などについて記述がある資料はある...”. レファレンス協同データベース. 2024年2月9日閲覧。
- ^ 榎原雅治「藤堂家始祖『三河守景盛』の素顔」『歴史書通信』196号、2011年。
- ^ 藤田 2018, p. 48.
- ^ “島根県史. 7 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
- ^ 『松江市史史料編3(古代中世1)』松江市、3。
- ^ “大日本仏教全書. 136 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
- ^ “東浅井郡志. 巻4 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年6月12日閲覧。
- ^ a b 朝日日本歴史人物事典『藤堂高虎』 - コトバンク
- ^ a b 新田完三 1984, p. 533-537.
- ^ 新田完三 1984, p. 535.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 112.
- ^ 新田完三 1984, p. 537.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 325.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 111.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 333.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
- ^ a b 松田敬之 2015, p. 474.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 355.
- ^ 松田敬之 2015, p. 473.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 253.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 90.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 279.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 692.
- ^ ““色白の北陸娘”は藤堂高虎の末裔 いざトップレーサーへ”. スポーツニッポン. (2012年11月17日) 2018年5月26日閲覧。
- ^ ただし、本人のブログでの発言にとどまる。
- ^ “People” (英語). INDA. 2022年4月28日閲覧。
- ^ 三井乗綱の子。
- ^ a b 丹羽長秀の3男。
- ^ a b 藤堂出雲家・藤堂高明の子。
- ^ a b 藤堂出雲家・藤堂高武の2男。
- ^ 藤堂出雲家・藤堂高武の4男。
- ^ 藤堂出雲家・藤堂高周の長男。
- ^ 藤堂出雲家一族・藤堂高璞の子。
- ^ 名張藤堂家・藤堂長徳の2男。
- ^ 織戸正満の4男。
- ^ 藤堂高治の弟。
- ^ 藤堂出雲家・藤堂高英の子。
- ^ 藤堂宗家・藤堂高嶷の8男。
- ^ 藤堂宗家・藤堂高兌の子。
- ^ 藤堂采女家・藤堂元晋の子。
- ^ 子爵・竹内治則の子。
藤堂家
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藤堂 蓮之介(とうどう れんのすけ) 伊勢藤堂藩三十二万石の跡取り。江戸城内において、将軍家斉と中野石翁の御前で怪死する。 鞠姫(まりひめ) 藤堂蓮之介の妹。美しく気丈な姫。石五郎の花嫁となるが、兄・蓮之介の怪死を、幕府の陰謀と信じている。 藤堂和泉守 (とうどういずみのかみ) 伊勢藤堂藩三十二万三千九百五十石の藩主。 綱手の方 (つなでのかた) 藩主藤堂和泉守の御国御前。藤堂竜丸の母。(三すくみの「なめくじ」) 藤堂 竜丸(とうどうたつまる) 蓮之介亡きあとの藤堂家唯一の男子。数え年で二歳。 徳川 石五郎(とくがわ いしごろう) 将軍家御曹司。家斉の寵姫お美代の方の息子にして、家斉三十三番目の世子。唖(おし)・白痴だが祖父・中野石翁により藤堂家に婿入りする。
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藤堂家
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藤堂明 「衰亡の国」主人公のひとり。レイテ沖海戦時点では海軍中佐。 藤堂家は明の祖父の代から帝国海軍軍人であった。戦艦大和の砲術長としてレイテ沖海戦に参加していたが、海戦中に僚艦の砲弾が流れ弾となって大和の艦橋に命中し、森下艦長、能村副長の他、栗田長官、宇垣戦隊司令官以下艦隊司令部の面々もことごとく戦死してしまう。明は後部艦橋配置だったため難を逃れるが、大和の中で生存する兵科将校の最上級・最先任者として大和の指揮を執らざるを得なくなってしまう。その後、艦隊はレイテ湾突入と米軍上陸部隊の殲滅に成功し、米軍によって「セント・クリスピンの虐殺」と名づけられるほどの戦果を挙げた。翌1945年、内地に一時帰還し大佐に昇進して戦艦武蔵の艦長に就任するが、長女は沖縄戦で斃れ、妻も本土への避難途中に敵潜の攻撃により没した後だった。やがて沖縄水上特攻に参加することとなり、唯一内地に残る二男の進を友人の堀井に託して出撃。台風にまぎれる事で沖縄への接近に成功し、沖縄沖海戦で敵艦数隻を撃沈する戦果を挙げたのち、自らも武蔵とともに壮絶な戦死を遂げた。死後、少将に特進。 藤堂守 「衰亡の国」「アイアン・フィスト作戦」「ヴィクトリー・ロード」全てを通じた主人公のひとりで、明の長男。 1945年、海軍少尉で流星改(守の乗機は、愛知航空機の技師だった「先生」によってエンジンを密かに換装された流星改一型)のパイロットとして北海道・千歳基地でソ連軍の参戦に備えていた。石狩湾で領海侵犯したソ連駆逐艦を自らの流星改が撃沈した事件(石狩湾事件)を口実としてソ連が対日参戦し、守も樺太(サハリン)・北海道北部をめぐる攻防戦の最前線で奮闘するが、乗機のエンジントラブルとソ連軍による対空射撃の被弾で、樺太・真岡付近に不時着。ソヴィエト軍の捕虜になるまでに遭遇したある出来事が深いトラウマとなり、妻サーシャ(本名:アレクサンドラ・スターリナ・コンドラチェンコ)と出会うまで長年にわたり「男性として大変な苦悩」を背負うこととなる。日本分断後は北日本の人民空軍で戦闘機パイロットに転身、祖国解放戦争(北海道戦争の北日本側の呼称)で人民空軍初のエース・パイロットとなり、ヴェトナム戦争において被弾撃墜され負傷するまで第一線で活躍した。共産主義国家の軍人として生きることに葛藤を抱きながらも、最終的には空軍元帥・人民空軍総司令官まで昇進し、北日本の軍事力を事実上掌握したことから西側諸国より「イエロー・ゲーリング」と呼ばれるまでになる。しかしやはり共産主義国家の軍人であることに耐えられず、川宮哲夫と表向き手を組み、哲夫を説得して先制攻撃を実施し統一戦争を勃発させるとともに、裏では義兄のコンドラチェンコや宗像たちと共に豊原政権打倒を目的とした行動を起こす。自らはサーシャとの間に一児を得るも夭折。その際の心労によって、サーシャもまた病死している。戦後半世紀の間、弟の進と直接顔を合わせたのはただ一度であった。 藤堂進 「アイアン・フィスト作戦」および「ヴィクトリー・ロード」主人公のひとりで、明の次男。 大和が就役した日に生まれた。父の死後はその友人であった堀井の家で育てられ、堀井の娘で一歳年上の雪子と結婚。長じて一般大学のROTCから海上自衛隊に入り、ヴェトナムに派遣される。湾岸戦争では一等海佐として護衛艦「やまと」の艦長を勤め、終結後は海将補として第二航空護衛隊群司令に就任。その後は無任所の海将補として退役を待つ身だったが、統一戦争勃発に伴い護衛艦隊司令部からの要請で第2機動任務群第8護衛隊司令として「やまと」に乗艦、第3次日本海海戦に参加した他、豊原近郊の戦略打撃軍IRBM基地への艦砲射撃を指揮した。統一戦争終結後、海将補で退役。 藤堂礼子 明の妻。那覇郊外の造り酒屋の娘。 夫の出征中に身を寄せていた実家から戦火を避け、次男・進とともに貨物船にて呉に疎開しようとするが、疎開船が米潜水艦の雷撃を受け沈没、漂流中に溺死する。その際、進は偶然同船した父親の知己の海軍軍人(後に自衛官となった進の上官になる)よりもらった救命胴衣と、疎開船を撃沈した潜水艦艦長の救助により、九死に一生を得ている。 藤堂貴子 明の長女。 礼子と進の疎開に同行することを拒否して沖縄に残る。沖縄戦の混乱の中、補助看護婦として徴用されていたが、逃げ遅れた幼い兄妹を助けようとして避難していた洞窟から走り出たところ、グラマンTBFから機銃掃射を浴びて死亡。 藤堂拓馬 進の長男。航空自衛隊の戦闘機パイロットで、TACネームは「ビッグ・ガン」。 1982年の南北休戦会談(守と進も出席)が行われるなか、搭乗するF15CJ改イーグルが「領空侵犯機」として日本民主主義人民共和国・第125防空中隊のミサイル攻撃により撃墜され戦死。なお、拓馬が戦死する結果となった「領空侵犯事件」は、公安調査情報庁(SRI)が守を南日本に脱出させようと仕掛けた政治工作を排除する意図をもって、国家保安省(NSD)長官の滝川が仕組んだものであった。 藤堂輝男 「ヴィクトリー・ロード」主人公のひとりで、進の次男。 エリート肌の兄に対し、高校までは不良少年であった。しかし、警察沙汰の事件を起こしたことをきっかけに更生し、海上自衛隊に入隊。戦闘機パイロットとなり、統一戦争でジェット時代初のダブル・エース・パイロットとして空戦史に名を残す。TACネームは「テディ・ベア」。1995年には宇宙往還機第一号の機長に選ばれる。 藤堂美咲 輝男の妻。旧姓・土井。 父母ともに死別し(父はSRI職員であったが、美咲は「公務員だった」ということ以外知らない)祖父母に育てられた経緯から、常に孤独を求め他人に心を開かない少女時代を過ごす。非常に明晰な頭脳の持ち主であり、防衛大を卒業して海上自衛隊に入隊後は美咲自身の才覚のほかに自衛隊上層部のPR戦略もあり、驚異的なスピードで昇進を重ねる。しかし、三等海佐として航空護衛艦しょうかくに勤務中、パイロットの輝男と出会ったことで孤独から解放され、自衛隊を辞め輝男と結婚する道を選ぶ。のちに輝男との間に一女・舞子を生む。
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藤堂家
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藤堂沙耶(とうどう さや) 由姫の母であり現在の当主。藤堂流古武術師範で、かなり強い。影虎を「お役目(由姫の武術指南役)」に任命する。 あっさりした人で、外出や居候の許可はすぐにOKする。 藤堂沙霧(とうどう さぎり) 由姫の祖母であり先代当主。沙耶と対照的で厳格な性格の持ち主。 今は亡き夫は風雷の忍びだった。風間天鷲(影虎の父)とは親密な間柄らしい。 藤堂 巴(とうどう ともえ) 由姫の従姉。藤堂流合気柔術道場の師範代。才色兼備。 由姫や影虎より3つ年上で、現在は大学に通いつつ師範代を務めている。由姫からは姉のように慕われていて、「巴お姉ちゃん」と呼ばれている。 影虎が由姫にとって信頼できる人間かどうか試そうと誘惑するが、実は彼女自身も影虎に対してまんざらでもなかった様子。 藤堂武弥(とうどう たけみ) 由姫の父。考古学者でめったに家に帰らない。由姫の運動音痴の原因は武弥にある。 藤堂家の婿養子。 沙耶と違って温和な性格のため尻に敷かれていて、彼女とは家が隣同士の幼なじみだったという。 藤堂由那(とうどう ゆな) 番外編に登場。享保時代の藤堂家の次期当主。刺客も恐れない藤堂流武術の達人で強い。しかし、幽霊や暗い場所が苦手らしい。 虎鉄が好きなのだが、素直になれない。
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藤堂家
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「エール (テレビドラマ)」の記事における「藤堂家」の解説
藤堂清晴(とうどう きよはる) 前述「裕一の恩師・幼なじみ」を参照。 藤堂昌子(とうどう しょうこ) 後述「川俣銀行」を参照。 藤堂晴吉(とうどう はるきち) 演 - 遠藤たつお 清晴の父親で元軍人。陸軍からの要請で、満州の視察に相談役として出征した。 息子には、自分と同じ軍人になってもらいたかったという思いが強く、教師になったことを未だに納得しておらず、清晴が久々に実家に帰った時は互いにぎこちない態度だったが、嫁の昌子がお腹の中の赤ん坊が動いたことを話題に出した時は、どこにでもいる「初孫を楽しみにしている初老の男性」であり、完全に冷酷な人物ではないようである。 その後の詳細は不明だが、彼が元・陸軍将校でなければ召集令状が来る当時の上限年齢をすでに越えていた清晴が予備役将校として出征することはなく、「福島三羽ガラス」が恩師と惜別する遠因を作ってしまっている。 藤堂憲太(とうどう けんた) 演 - 宇佐美謙仁 清晴と昌子の一人息子で晴吉の初孫。初登場時、5歳。 裕一達の帰郷で、裕一の実家の庭で彼と遊んでいた時にト音記号を木の枝で描き、褒められた。 戦後、父のように眼鏡が似合う少年になっており、ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を母と共に聴いている。
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