日本の降伏
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終戦工作の例
日本軍が有利な展開なうちに早期に休戦・終結させる試みは、1942年(昭和17年)の時期から一部の政治家・官僚・民間人の間で摸索された。しかし、戦争勝利を大義とした東條内閣及び軍部により弾圧され、中野正剛のように自決に追い込まれる者もいた。終戦工作としては、他に以下のようなものが知られる。
- 燕京大学学長ジョン・スチュワートや上海市長周仏海を仲介者とする和平工作。
- 日本軍今井武夫参謀副長と中国国民軍何柱国上将との和平協議。
- 水谷川忠麿男爵(近衛文麿の異母弟)と中国国際問題研究所何世禎との和平工作。
- 駐日スウェーデン公使ウィダー・バッゲを仲介者とするイギリスとの和平工作。また、小野寺信駐在武官もドイツの親衛隊諜報部門の統括責任者であるヴァルター・シェレンベルクと共にスウェーデン王室との間で独自の工作を行った[61][62]。だが、ソ連との交渉に専念したい東郷の意向で延期されたまま終戦を迎えた[63]。
- スイスにおけるアメリカ戦略事務局のアレン・ダレスを仲介者とした岡本清福陸軍武官・加瀬俊一公使や藤村義朗海軍武官らによる和平工作[64][65][66]。
これらはいずれも和平条件の問題や日本側による仲介者への不信、時機などから、実現には至らなかった。
軍の降伏
日本軍は、各地域でGHQに対する降伏と降伏式を行った。降伏先の指定は1945年9月2日の降伏文書調印直後に「一般命令第一号」としてGHQから発令された。
本土
- 青森県:9月9日、海軍大湊警備府司令長官の宇垣完爾、陸軍50軍司令官の星野利元、県知事の金井元彦らが大湊湾洋上のアメリカ軍艦パミナント上で占領命令書に署名している[67]。アメリカ軍側は9月2日に日本と連合国の降伏文書調印を踏まえ、24時間以内に北海道と北東北を管轄する同警備府が武装解除することなどを命じている。
沖縄
- 9月7日に南西諸島の日本軍を代表し、第28師団司令官納見敏郎中将、高田利貞少将、加藤唯雄海軍少将の3名が、沖縄戦降伏文書に調印し、アメリカ側のジョセフ・スティルウェル陸軍大将が日本軍の降伏を受諾し署名を行い、沖縄戦が公式に終結した[68][69][注釈 4]。
外地・大陸・南方
- 京城:[3][4]
- 南京:9月9日、中央軍官学校大会堂にて。日本軍代表は支那派遣軍岡村寧次大将、連合軍代表は中国戦区陸軍総司令何応欽一級上将[5][6]。
- 青島:10月25日、匯泉路競馬場にて。日本側代表は独立混成第5旅団長長野栄二少将[70]、連合軍代表は米海兵隊第6師団長レミュエル・C・シェファード・ジュニア少将、軍政部膠済区接收特派員陳宝倉中将。
- 香港:9月16日、日本側代表は香港防衛隊長岡田梅吉陸軍少将、第二遣支艦隊司令長官藤田類太郎海軍中将。連合軍代表はイギリス軍セシル・ハーコート少将、中国国民軍潘華国少将。
- バギオ(ルソン島):9月3日、キャンプジョンヘイ敷地内にて。日本軍代表は第14方面軍司令官山下奉文大将、南西方面艦隊司令長官大川内傳七中将。連合軍代表は米陸軍太平洋西部陸軍副司令エドモンド・H・レヴィ少将[71]。
- ラバウル:9月6日、イギリス軍艦グローリーにて。日本軍代表は第8方面軍司令官今村均大将及び南東方面艦隊司令長官草鹿任一中将、連合軍代表は豪陸軍第1軍司令官ヴァーノン・スターディー中将[72]。
- シンガポール:9月12日、市庁舎にて。日本側代表は第7方面軍司令官板垣征四郎大将、連合軍代表はルイス・マウントバッテン元帥。[7]
- スマトラ:チェンバーズ(H. M. Chambers)率いる第26インド師団(26th Indian Division)が10月13日、パダンに上陸、10月21日の3時30分(GMT)、スマトラを統治した第25軍が市庁舎で降伏文書に署名した。25軍の司令官、田辺盛武が陸軍を代表、第9特別根拠地隊司令官の広瀬末人が海軍を代表した。英印軍はセイヤーズ(Sayers)大尉が海軍を代表、チェンバーズが陸軍を代表した。
- ニューギニア
- ボルネオ:9月10日にラブアンの第9師団本部にて、日本側代表は第37軍司令官馬場正郎中将、連合軍代表はオーストラリア第9師団長ジョージ・ウートン少将。
- 太平洋戦域各地の降伏式
参考文献
史伝資料
- 外務省編「終戦史録」 同刊行会, 新版1997ほか。初刊:新聞月鑑社, 1952
- 改訂版「終戦史録」 北洋社(全6巻・別巻[73]), 1977-78
- 外務省編「日本の選択 第二次世界大戦 終戦史録」 山手書房新社(3巻組), 1990
- 外務省編「初期対日占領政策 朝海浩一郎報告書」毎日新聞社(上下), 1978-79
- 江藤淳監修、栗原健・波多野澄雄編「終戦工作の記録」、講談社文庫(上下), 1986
- 江藤淳編・波多野澄雄解題「占領史録」(全4巻)、講談社, 1981-82/講談社学術文庫, 1989、文庫新版(上下), 1995
- 林茂・辻清明編「日本内閣史録 5」第一法規, 1981(全6巻)
- 鹿島平和研究所編「日本外交史 25 大東亜戦争・終戦外交」 松本俊一監修, 1972
- 同上「日本外交史 26 終戦から講和」 鈴木九萬監修, 1973、鹿島出版会(各新版)
- 中尾裕次編「昭和天皇発言記録集成」 芙蓉書房出版(上下), 2003
- 参謀本部所蔵 「敗戦の記録」 原書房, 1967、新版1989、2005
- 森松俊夫監修「『大本營陸軍部』大陸命・大陸指総集成 10巻」エムティ出版, 1994
- 防衛庁防衛研修所戦史室「大本營陸軍部10 昭和二十年八月まで」朝雲新聞社, 1975
- 軍事史学会編「大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌」 錦正社(上下), 1998/新版合本2008
- 佐藤元英・黒沢文貴編「GHQ歴史課陳述録 終戦史資料」原書房(上下), 2002
- 『日本外交文書 太平洋戦争』 六一書房(全3巻), 2010 - 各・外務省外交史料館編
- 『日本外交文書 占領期』 六一書房(全3巻), 2017-18
- 『日本外交文書 占領期 関係調書集』 六一書房, 2019
日記・回想録
- 「鈴木貫太郎自伝」 鈴木一編、時事通信社, 1968、新版1985[74]
- 鈴木貫太郎伝記編纂委員会編「鈴木貫太郎伝」鈴木貫太郎伝記編纂委員会, 1960
- 新版「歴代総理大臣伝記叢書32 鈴木貫太郎」ゆまに書房, 2006
- 「東久邇日記 日本激動期の秘録」徳間書店, 1968
- 東久邇稔彦「一皇族の戦争日記」日本週報社, 1957 /「私の記録」東方書房, 1947
- 東郷茂徳「時代の一面 東郷茂徳外交手記」 改造社, 1952 / 原書房, 新版2005 / 中公文庫, 新版2021
- 迫水久常「機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで」 恒文社, 1964、新版1986 / ちくま学芸文庫, 2011
- 迫水久常「大日本帝国最後の四か月」 オリエント書房, 1973 / 河出文庫, 2015
- 下村海南「終戦秘史」 講談社, 1950 / 講談社学術文庫, 1985
- 藤田尚徳「侍従長の回想」 講談社, 1961 / 中公文庫, 1987 / 講談社学術文庫, 2015
- 細川護貞「細川日記」 中央公論社(新版), 1978 / 中公文庫(上下), 1979、改版2002
- 重光葵「重光葵手記」(正・続) 中央公論社, 1986-88
- 重光葵「昭和の動乱」(上・下) 中央公論社, 1952 / 中公文庫, 2001
- 重光葵「外交回想録」 毎日新聞社, 1953、新版1978 / 中公文庫, 2011
- 岡崎勝男「戦後二十年の遍歴」 中公文庫, 1999。初刊・私家版
- 木戸幸一「木戸幸一日記」 東京大学出版会(上・下), 1966
- 「証言・私の昭和史5 終戦前後」聞き手三國一郎、旺文社文庫、文春文庫(新版), 1989
- 「もう一つの戦後史」聞き手江藤淳、講談社, 1978[75]
- 「証言記録 太平洋戦争 終戦への決断」サンケイ新聞社「第二次世界大戦ブックス」, 1975
- 富田健治「敗戦日本の内側」古今書院, 1962
- 「近衛文麿と日米開戦――内閣書記官長が残した『敗戦日本の内側』」祥伝社新書, 2019。川田稔解説。
- 松村謙三「三代回顧録」東洋経済新報社, 1964 / 新版・吉田書店、2021。武田知己編
- 高松宮宣仁親王「高松宮日記」中央公論社(全8巻), 1997
- 「河辺虎四郎回想録 市ヶ谷台から市ヶ谷台へ」 時事通信社, 1962 / 毎日新聞社, 1979
- 保科善四郎「大東亜戦争秘史 失われた和平工作」原書房, 1975
- 「最後の参謀総長 梅津美治郎」 同刊行会編、芙蓉書房, 1976
- 有末精三「終戦秘史 有末機関長の手記」 芙蓉書房, 1987(新版)
- 宮崎周一「大本営陸軍部作戦部長 宮崎周一中将日誌」 錦正社, 2003
- 豊田副武「最後の帝国海軍」 世界の日本社, 1950 / 中公文庫, 2017
- 富岡定俊「開戦と終戦」毎日新聞社, 1968 / 中公文庫, 2018
- 高木惣吉「自伝的日本海軍始末記 続篇」光人社, 1979
- 藤田信勝「敗戦以後」秋田屋, 1947 / リーダーズノート新書, 2011
歴史書・伝記
- 半藤一利「決定版 日本のいちばん長い日」 文藝春秋, 1995、文春文庫, 2006
- 半藤一利「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」 文藝春秋, 1985/PHP文庫(新版), 2006
- 小堀桂一郎「宰相鈴木貫太郎」 文藝春秋, 1982、文春文庫, 1987
- 「鈴木貫太郎 用うるに玄黙より大なるはなし」 ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉, 2016。増訂版
- 波多野澄雄「宰相鈴木貫太郎の決断 「聖断」と戦後日本」岩波書店〈岩波現代全書〉, 2015
- 萩原延壽「東郷茂徳 伝記と解説」 原書房, 2005(新版)/朝日新聞社, 2008
- 東郷茂彦「祖父東郷茂徳の生涯」 文藝春秋, 1993
- 豊田穣「孤高の外相 重光葵」 講談社, 1990
- 渡辺行男「重光葵 上海事変から国連加盟まで」中公新書, 1996
- 実松譲「米内光政正伝」光人社, 2009(新版)
- 「海軍大将米内光政覚書 太平洋戦争終結の真相」実松譲編、産経NF文庫, 2022。元版:光人社
- 「昭和史の天皇」 中公文庫(1-4), 2012。元版:読売新聞社(全30巻), 1980完結
- 「天皇の終戦 激動の227日」 読売新聞社, 1988 - 上記の再編版
- 入江隆則「敗者の戦後」 中央公論社〈中公叢書〉, 1989/文春学藝ライブラリー(文庫新版), 2015
- 長谷川毅「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」 中央公論新社, 2006/みすず書房, 2023
- 仲晃「黙殺 ポツダム宣言の真実と日本の運命」 NHKブックス(上下), 2000
- 五百旗頭真「占領期 首相たちの新日本」 読売新聞社〈20世紀の日本3〉, 1997/講談社学術文庫, 2007
- 五百旗頭真「日本の近代6 戦争・占領・講和 1941〜1955」 中央公論新社, 2001、中公文庫, 2013
- 戸部良一「日本の近代9 逆説の軍隊」 中央公論新社, 1998、中公文庫, 2012
- 児島襄「天皇5 帝国の終焉」 カゼット出版(新版、全5巻), 2007
- ジョン・トーランド「大日本帝国の興亡5 平和への道」 毎日新聞社外信部訳、ハヤカワ文庫(全5巻)、2015(新版)
- レスター・ブルークス「終戦秘話 一つの帝国を終わらせた秘密闘争」井上勇訳、時事通信社, 1968、新版1985。原題はBehind Japan's surrender
- ルイ・アレン「日本軍が銃をおいた日 太平洋戦争の終焉」長尾睦也・寺村誠一訳、早川書房, 1976、改訂新版2022
- 芦田均「第二次世界大戦外交史」岩波文庫(上下), 2015(新版)。解説井上寿一
個別研究
- 五百旗頭真『日米戦争と戦後日本』(新版)講談社学術文庫、2005年。
- 保阪正康『新版 敗戦前後の日本人』朝日文庫、2007年。
- アービン・クックス 著、加藤俊平 訳『天皇の決断 昭和20年8月15日』サンケイ新聞社〈第二次世界大戦ブックス〉、1971年。
- 遠山茂樹、今井清一、藤原彰『昭和史(新版)』岩波新書、1959年。
- 纐纈厚『日本降伏 迷走する戦争指導の果てに』日本評論社、2013年。
- 加藤聖文『「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年』中公新書、2009年7月。ISBN 4-12-102015-4。
- 趙景達『植民地朝鮮と日本』岩波新書、2013年。
- 若林正丈『台湾 変容し躊躇するアイディンティティ』ちくま新書、2001年。
- 小倉貞男『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』中公新書、1997年7月。ISBN 4-12-101372-7。
- 小林英夫『日本軍政下のアジア』岩波新書、1993年。
- 中野聡 著「植民地統治と南方軍政―帝国・日本の解体と東南アジア」、編集委員倉沢愛子ほか 編『岩波講座アジア・太平洋戦争 第7巻 支配と暴力』岩波書店、2006年。
辞典・事典項目
- 師岡佑行「終戦工作」 「社会科学大事典 10」鹿島研究所出版会, 1969
- 波多野澄雄「終戦工作」 「国史大辞典 7」吉川弘文館, 1986
- 木坂順一郎「終戦工作」 「日本史大事典 3」平凡社, 1993
その他
- 『消えた潜水艦とたった一人の和平工作』(日本テレビ「知ってるつもり?!」2002年5月28日放送分)
注釈
出典
- ^ 福田和也 『悪と徳と岸信介と未完の日本』 産経新聞社 2012年4月 第19回『サイパン陥落』、第20回『尊攘同志会』 pp.228-246
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- ^ 『暗闘(上)』 p.198
- ^ 『暗闘(上) 』 pp.290 - 212、218 - 220
- ^ 『満洲国―「民族協和」の実像』塚瀬進 吉川弘文館 p.147
- ^ 『暗闘(上)』 p.226
- ^ 『暗闘(上)』 pp.248 - 250
- ^ a b 寺崎英成著 『昭和天皇独白録』 136ページによれば、「私が今迄聞いてゐた所では、海岸地方の防備が悪いといふ事であつたが、報告に依ると、海岸のみならず、決戦師団さへ、武器が満足に行き渡つてゐないと云ふ事だつた。敵の落した爆弾の鉄を利用して「シャベル」を作るのだと云ふ、これでは戦争は不可能と云ふ事を確認した。木戸は米内にも東郷にも鈴木にも意見を聞いたが、皆講和したいと云ふ、然し誰も進んで云ひ出さない。それで私は最高指導会議の者を呼んで、速かに講和の手筈を進める様に云つた。「ソビエト」を経てやれと云つたかどうかは記憶して居らぬ。この時鈴木その他から先づ「ソビエト」の肝を探らうと、云ひ出した、私はそれは良い事と思ふが、現状に於ては速かに事を処理する必要があると云つた。これですつかり講和の決意が出来て安心した、但し講和の条件に付ては、皆各と意見があつた。之と前后して、鈴木は詔書を出して国民を激励して頂きたいと云つて釆たが、前述の理由で、絶対に反対だと云つたら、鈴木は御尤もだと云つて帰つた。どうも政府も軍人も二股かける傾向があるのはよろしくない。この場合鈴木だから、隔意なく思ふ事が云へたのだ。・・・然しソ連は誠意ある国とは思へないので、先づ探りを入れる必要がある、それでもし石油を輸入して呉れるなら南樺太も、満洲も与へてよいといふ内容の広田「マリク」会談を進める事にした。しかし、「スターリン」は会議から帰つた后も、返事を寄越さず、その中に、不幸にして「ソビエト」の宣戦布告となつた。こうなつては最早無条件降伏の外はない。」とある
- ^ NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」(2012年8月15日放映)[1]。当番組では連合国に傍受解読された駐在武官発の電報(ロンドンに保存)が紹介された。
- ^ NHK取材班 『太平洋戦争 日本の敗因6 外交なき戦争の終末』 角川文庫、1995年、pp.204 - 208
- ^ 昭和天皇実録より
- ^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.264
- ^ 昭和天皇実録 iza14090905120002 2/3
- ^ 衣奈多喜男『最後の特派員』朝日ソノラマ 1988年7月、ISBN 978-4-257-17205-5
- ^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.267
- ^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.265
- ^ "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander …"
- ^ The ultimate form of government of Japan... government は無冠詞である(プログレッシブ英和中辞典(第4版) government)。
- ^ “The Decision to Use the Atomic Bomb” by Henry Stimson
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- ^ 山下祐志 1998, pp. 6.
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- ^ 池谷薫『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮社、2007年(平成19年))、米濱泰英『日本軍「山西残留」』(オーラル・ヒストリー企画、2008年(平成20年)6月)、山口盈文『僕は八路軍の少年兵だった』(草思社 1994年(平成6年)、新版が光人社文庫、2006年)に詳しい、また中国山西省日本軍残留問題を参照。
- ^ 回想に小野寺百合子『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』(共同通信社。初版1985年)。
- ^ 情報開示により近年研究が進み、評伝に岡部伸(産経新聞編集委員)による『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』(新潮選書、2012年)、『「諜報の神様」と呼ばれた男 連合国が恐れた情報士官小野寺信の流儀』(PHP研究所、2014年)がある。
- ^ 小野寺工作を元に、作家の佐々木譲が小説で『ストックホルムの密使』(新潮社、のち新潮文庫)を著し、1995年(平成7年)10月に、NHKでドラマ放送(前・後)された。
- ^ 岡本・加瀬のルートによるスイスでの活動は、竹内修司『幻の終戦工作 ピース・フィーラーズ1945夏』(文春新書、2005年)に詳しい。著者は『月刊文藝春秋』、『諸君!』などの編集者で、昭和史関連の著作編集を行っている。なお、岡本・加瀬と藤村は別個に活動しており、お互いの活動をほとんど知らなかったとされる。
- ^ 有馬哲夫『「スイス諜報網」の日米終戦工作 ポツダム宣言はなぜ受けいれられたか』(新潮選書、2015年)では、藤村の和平工作に否定的な見解を述べている。
- ^ 藤村=ダレス工作を元に、作家の西村京太郎が小説『D機関情報』(講談社)を著し、『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』(主演役所広司、1988年)で映画化された。
- ^ 「占領の瞬間生々しく 降伏式の写真見つかる」デーリー東北新聞社オンライン(2010/03/11)[2]
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- ^ 時事及び図書センター版は、回顧談「終戦の表情」(労働文化社, 1946)を収録
- ^ 終戦・占領での当事者・その親族13名へのインタビュー
- 日本の降伏のページへのリンク