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星野利元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/23 04:31 UTC 版)

星野 利元
星野利元
生誕 1892年5月5日
日本 新潟県
死没 (1978-08-21) 1978年8月21日(86歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1913 - 1945
最終階級 陸軍中将
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星野 利元(ほしの としもと、1892年(明治25年)5月5日 - 1978年(昭和53年)8月21日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

新潟県出身。星野三太郎の息子として生れる。陸軍中央幼年学校予科同校本科を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第18連隊付となる。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業。

1927年(昭和2年)7月、陸軍歩兵学校教官となり、陸大教官、戦車第1連隊などを経て、1936年(昭和11年)2月から12月まで欧州に出張した。同年12月、歩兵大佐に進級し歩兵学校教官となった。翌年8月、戦車第5連隊長に就任し、教育総監部第4課長を経て、1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に昇進。同年10月、教育総監部第2部長となった。

1941年(昭和16年)4月、公主嶺陸軍戦車学校長に就任し太平洋戦争を迎えた。1942年(昭和17年)8月、陸軍中将に進み、翌月、新設の戦車第1師団長に親補され満州に駐屯した。1945年(昭和20年)6月、第50軍司令官となり青森本土決戦に備えたが、交戦することなく終戦を迎えた。

1945年11月、俘虜関係調査部長に就任し、同月、予備役に編入となった。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

親族

栄典

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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