堀河家
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脚注
参考文献
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 堀河 ホリカワ」『姓氏家系大辞典』 第4、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、4294頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会 編『平成新修旧華族家系大成』 下、霞会館、1996年。ISBN 4642036717。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
- 森岡浩『日本名門・名家大辞典』東京堂出版、2012年(平成24年)。ISBN 978-4490108217。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。
注釈
- ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の堀河家領は山城国愛宕郡一乗寺村のうち141石4斗8升5合、山城国乙訓郡石倉村のうち59石2斗2升5合、山城国乙訓郡大原野村のうち29石7斗9升で合計3村・230石5斗となっている。
- ^ 中納言からそのまま大納言になることを直任といい、中納言を一度辞してから大納言になるより格上の扱いと見なされていた。叙爵内規は歴代当主の中にこの大納言直任の例があるか否かで平堂上家を伯爵家か子爵家かに分けていた[7]。
- ^ 鷲尾隆尹の子。
- ^ 園池実守の子。
- ^ 裏松謙光の次男。
- ^ 萩原員幹の子。
- ^ 岩倉具視の1男。実家に戻り南岩倉男爵家を創設。
出典
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