三菱重工業長崎造船所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 21:31 UTC 版)
三菱重工業下関造船所、三菱重工業神戸造船所と共に三菱重工業の主力工場・造船所の1つであり、同社の発祥の地である[1]。長崎造船所のうち、小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(現在は史料館)、占勝閣の5資産が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産となっている。
概要
長崎県長崎市にある本工場(長崎造船所)、香焼工場、幸町工場と、諫早市の諫早工場からなる。 大型客船や大型タンカー、LPG船等の船舶のほか、発電プラント、環境保全設備、海水淡水化プラント等、多岐にわたる製品を製造している。 本工場(長崎造船所)は、1857年(安政4年)に日本初の艦船修理工場「長崎鎔鉄所」として誕生し、江戸幕府から明治政府に管理が移った後、1887年に岩崎弥太郎率いる三菱に払い下げ、以後民営の造船所として多数の艦船を建造した[2]。戦艦「武蔵」を建造したことでも有名である。 戦後、三菱重工は3社に分割されるなど経営母体は紆余曲折したが、本工場は賠償撤去指定工場を免れ存続する。 一時期は受注も途絶え小型の漁船を細々と建造する有様であったが、1950年の朝鮮戦争前後よりその高い造船技術を評価され、以後オイルショック頃まで大型タンカー受注が続いた[3]。
現在は民間船舶の他海上自衛隊の護衛艦も多数建造している。1950年代には後甲板の傾斜に特徴的な設計を持つ護衛艦を多く建造し、護衛艦における「オランダ坂」の名前の由来となった。
飽の浦本工場内には三菱重工業長崎造船所史料館が開館されている。
沿革
- 1857年(安政4年) 江戸幕府直営「長崎鎔鉄所」の建設着手。
- 1860年(万延元年) 「長崎製鉄所」と改称。
- 1861年(文久元年) 完成。
- 1868年(明治元年) 官営「長崎製鉄所」となる。
- 1871年(明治4年) 工部省所管「長崎造船局」と改称。
- 1879年(明治12年) 立神第一ドック完成
- 1884年(明治17年) 三菱経営となる。「長崎造船所」と改称。(三菱重工業は、この年を創業年としている。)
- 1887年(明治20年) 設備の払い下げを受ける。
- 1893年(明治26年) 「三菱合資会社三菱造船所」と改称。
- 1896年(明治29年) 第二ドック完成。
- 1903年(明治36年) 第二、第三船台完成。
- 1909年(明治42年) 150トンジャイアント・カンチレバークレーン(ハンマーヘッドクレーン)をイギリスより購入[4]。その後100年を超えてなお稼働を続けている[5][6]。
- 1912年(大正元年) 第一船台にガントリークレーン完成。
- 1915年(大正4年) 戦艦「霧島」竣工。(戦艦「榛名」と共に民間造船所初の戦艦建造)
- 1917年(大正6年) 「三菱造船株式会社長崎造船所」と改称。
- 1923年(大正12年) 電機工場が分離独立し、三菱電機長崎製作所となる。
- 1934年(昭和9年) 「三菱重工業株式会社長崎造船所」と改称。
- 1936年(昭和11年) 第二船台ガントリークレーン完成。(戦艦「武蔵」建造場所)
- 1942年(昭和17年) 戦艦「武蔵」竣工。
- 1945年(昭和20年) 長崎市への原子爆弾投下により工員や動員学徒に多数の死傷者を出す。
- 1950年(昭和25年) 三菱重工は3社に分割「西日本重工業株式会社」長崎造船所となる。
- 1951年(昭和26年)長崎精機製作所(旧:長崎兵器製作所)と統合。
- 1952年(昭和27年) 社名変更「三菱造船株式会社」長崎造船所となる。
- 1955年(昭和30年)大型タンカー「ビードル」進水の際に、制動装置のワイヤー切断により船が暴走し、700メートル先の対岸に乗り上げる事故が発生する[3]。
- 1964年(昭和39年) 三菱重工グループの三社合併「三菱重工業株式会社」長崎造船所となる。
- 1965年(昭和40年)20万トンドック2基が完成する[3]。
- 1967年(昭和42年)倒産した川南工業香焼島造船所の跡地を取得。
- 1969年(昭和44年)第24回国民体育大会開催時に来県した天皇・皇后が工場を視察[7]。
- 1972年 (昭和47年) 三菱重工で最大規模となる香焼工場が完成する[3]。
- 1985年(昭和60年) 飽の浦本工場内の木型場が三菱重工業長崎造船所史料館として開館。
- 1997年(平成9年) 史料館に展示されている工作機械「竪削盤」(1856年オランダ製)が国の重要文化財に指定される[8][9]。
- 2003年(平成15年) カンチレバークレーンが国の登録有形文化財に登録される[10]。
- 2014年(平成26年) - 三菱日立パワーシステムズ (MHPS)が設立。それに伴い、火力発電事業を担当する同社長崎工場が当所に併設される。
- 2015年(平成27年) - 長崎造船所を含む長崎地区の工場再編計画を発表[11]。幸町工場の全事業と本工場(飽の浦地区)の管理・設計部門を諫早工場に移転させ、防衛省およびJAXA向けの事業を諫早工場に集約させるというもの。
- 2018年(平成30年) - 分社化により三菱造船と三菱重工海洋鉄構が設立される。
- 2020年 (令和2年) - 香焼工場にて修繕工事中のイタリア船籍コスタ・アトランチカでCOVID19への集団感染が発生する。
- 2021年(令和3年) - 香焼工場の新造船部門を、大島造船所に2022年度までに段階的に売却する契約を締結したことを発表[12][13][14](後述)。
- 2022年(令和4年) - 香焼工場新造船エリアの大島造船所への引き渡し完了を発表[15](後述)。
ギャラリー
【世界遺産】とあるのは明治日本の産業革命遺産の構成資産であることを示す。
-
明治時代の長崎三菱造船所(第二ドック)
手彩色絵葉書 -
1984年10月三菱重工長崎ドックナンバー2
-
明治から大正頃の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
-
海自艦船入渠中の第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
-
三菱重工業長崎造船所 第三ドック(第三船渠)【世界遺産】
-
三菱造船所(長崎)で建造中の巡洋戦艦 霧島の絵葉書(1914年8月9日消印)
-
ジャイアント・カンチレバークレーン(明治時代)【世界遺産】
-
ジャイアント・カンチレバークレーン(明治から大正の頃)【世界遺産】
-
ジャイアント・カンチレバークレーン(現在)【世界遺産】
-
ジャイアント・カンチレバークレーン(ライトアップ)【世界遺産】
-
旧木型場(三菱重工業長崎造船所史料館)【世界遺産】
-
占勝閣【世界遺産】
- ^ Ltd, Mitsubishi Heavy Industries. “三菱重工 | 沿革”. 三菱重工. 2023年10月1日閲覧。
- ^ “長崎造船所の沿革”. 三菱重工業株式会社. 2015年11月27日閲覧。
- ^ a b c d 江越弘人『トピックスで読む 長崎の歴史』弦書房、2007年3月、293頁。ISBN 978-4-902116-77-9。
- ^ “再発見!近代化遺産 長崎市編・4/ジャイアント・ カンチレバークレーン”. 長崎新聞 (2014年1月18日). 2015年11月27日閲覧。
- ^ 100年ぶりに地上へ Archived 2013年4月30日, at the Wayback Machine.
- ^ “【日本の源流を訪ねて】ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市)”. 産経新聞 (2015年4月28日). 2015年11月27日閲覧。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、101-102,134頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ “長崎造船所 史料館 代表的記念物”. 三菱重工業株式会社. 2015年11月27日閲覧。
- ^ “竪削盤〈/一八五六年、オランダ製〉”. 文化遺産オンライン. 2015年11月27日閲覧。
- ^ “長崎県の文化財 三菱重工業長崎造船所ハンマーヘッド型起重機”. 長崎県. 2015年11月27日閲覧。
- ^ 『長崎地区の防衛・宇宙および火力発電事業関連の工場を再編 製品ごとに集約して国際競争力を強化』(プレスリリース)三菱重工業・三菱日立パワーシステムズ、2015年7月23日 。2018年3月3日閲覧。
- ^ a b c 2021年3月31日付西日本新聞社会面「三菱重工 香焼工場売却 正式決定」
- ^ a b 三菱重工 長崎の香焼工場売却決定 大型船建造から事実上撤退へ 2021年3月30日、NHK NEWS WEB 2021年10月28日閲覧
- ^ a b 当社長崎造船所香焼工場の大島造船所への譲渡契約締結について 2021年3月30日、三菱重工ニュース 2021年10月28日閲覧
- ^ a b c 2022年12月28日付西日本新聞「三菱重工から大島造船所へ 香焼工場 譲渡完了」
- ^ 長澤文雄 『なつかしい日本の汽船』、2016年3月31日閲覧。
- ^ “三菱重工長崎 香焼工場建造 最後のタンカーが出港”. NBC長崎放送 (2021年9月30日). 2021年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月10日閲覧。
- ^ a b c 艦載装備品開発の歩み,技術研究本部資料
- ^ 「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』増刊 第827集 (2015年12月号)海人社 P.39
- ^ 『長崎造船所幸町工場の跡地活用に関する事業計画案募集の件』(プレスリリース)三菱重工業、2017年4月24日 。2018年4月15日閲覧。
- ^ 『長崎造船所幸町工場の跡地活用に関するお知らせ』(プレスリリース)三菱重工業、2017年1月31日 。2018年4月15日閲覧。
- ^ a b c “三菱幸町跡地“争奪戦” 公募に複数企業名乗り JR九州、イズミ、大和ハウス工業など”. 長崎新聞. (2017年12月21日) 2018年4月15日閲覧。
- ^ “J1長崎、新スタジアム検討 長崎市内の三菱工場跡地か”. 西日本新聞. (2018年2月23日) 2018年4月15日閲覧。
- ^ 『ジャパネットが提案する「長崎を生きる楽しさ」を! ~長崎・幸町工場跡地活用事業に向けた優先交渉権獲得のお知らせ~』(PDF)(プレスリリース)ジャパネットホールディングス、2018年4月26日 。2018年4月27日閲覧。
- ^ 『JLLグループ、ジャパネット、竹中工務店連合:長崎幸町工場跡地再開発業務の優先交渉権獲得、基本協定書を締結』(プレスリリース)ジョーンズ ラング ラサール インコーポレイテッド、2018年4月26日 。2018年4月27日閲覧。
- ^ “JLLグループ、ジャパネット、竹中工務店連合:長崎幸町工場跡地再開発業務の優先交渉権獲得、基本協定書を締結”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年10月17日閲覧。
- ^ “三菱重工幸町工場跡地にサッカーJ1長崎ホームスタジアム 2万3000人収容 23年開業目指す”. 毎日新聞. (2018年4月27日) 2018年4月27日閲覧。
- ^ 堤之剛 (2018年4月27日). “ホテルやマンション併設… 異例のスタジアムパーク構想”. 朝日新聞 2018年4月28日閲覧。
- ^ “長崎新スタジアム2万席 ジャパネットHD、基本設計公表”. 西日本新聞 (2020年12月26日). 2021年1月11日閲覧。
- 1 三菱重工業長崎造船所とは
- 2 三菱重工業長崎造船所の概要
- 3 主な製品
- 4 工場一覧
- 5 出典
固有名詞の分類
- 三菱重工業長崎造船所のページへのリンク