一円紙幣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 16:56 UTC 版)
概要
日本銀行券の一円紙幣には、旧一円券、改造一円券、い号券、A号券の4種類が存在する。第二次世界大戦終戦直後(1945年(昭和20年)末)までに発行された紙幣のほとんどは兌換銀行券整理法や新円切替などによって失効しているが、日本銀行発行の一円紙幣に限り、発行された全てが現在も有効券となっている[1]。新円切替の際にも切替の対象外とされ、新円として扱われ効力を維持した。これは1円が日本における基本通貨単位であることへの配慮に基づくとされている。ただし兌換銀券は現在額面金額1円の不換紙幣として扱われ、銀貨との交換はできない。紙幣券面の表記は『壹圓』で、現在有効な日本銀行券の中では最小額面である。
1円は現在の日本の現金の最小単位なので、損傷紙幣として一円紙幣を日本銀行に持ち込んだ場合は、1円として交換されるのは全額交換相当(面積が元の2/3以上)の場合のみで、半額交換相当(面積が元の2/5以上2/3未満)の場合であっても失効となる。
旧一円券
1885年(明治18年)8月29日の大蔵省告示第119号「兌換銀行券見本」[2]により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り[3]。
- 日本銀行兌換銀券
- 額面 壹圓(1円)
- 表面 大黒像、一円銀貨、兌換文言、英語表記の兌換文言、発行根拠文言
- 裏面 彩紋、偽造変造罰則文言
- 印章 〈表面〉日本銀行総裁之章、文書局長(割印) 〈裏面〉金庫局長
- 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 黒色
- 記番号構成 〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 2桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁
- 寸法 縦78mm、横135mm
- 製造実績
- 発行開始日 1885年(明治18年)9月8日[5]
- 支払停止日 1958年(昭和33年)10月1日[1](1899年(明治32年)3月20日以降は回収対象であり[6]、支払停止日以前から事実上発行されていなかったと推測される)
- 発行終了
- 有効券
明治維新以降、政府が発行した明治通宝・改造紙幣などの政府紙幣や、民営の国立銀行が発行した国立銀行紙幣などが並行して発行されていたが、西南戦争の戦費調達を発端として政府や国立銀行が無尽蔵に紙幣を濫発した結果インフレーションが発生し経済的な混乱の一因となっていた[7]。これを収拾し通貨制度の信頼回復を図るために松方正義により紙幣整理が行われることとなり、政府から独立した唯一の発券銀行としての中央銀行すなわち日本銀行が創設され、従来の紙幣に代わって事実上の銀本位制に基づく「日本銀行兌換銀券」として発行された[7]。
表面に大黒天が描かれていることから「大黒札」と呼ばれている[8]。なお大黒天の肖像は、当時の印刷局の職員であった書家の平林由松をモデルとしてデザインしたものとされる[9]。小槌と袋を手にした大黒天が米俵の上に腰かけている様子が描かれており、米俵の側には3匹の鼠があしらわれている。また兌換対象の一円銀貨の図柄のレリーフ模様、ならびに日輪とそこから放射状に延びる光線状の模様が表面の地模様としてあしらわれており、光線状の部分には微細な連続文字が配されている[9]。日本語と英語で兌換文言が表記されている(此券引きかへ𛂋銀貨壹圓相渡可申候也 NIPPON GINKO Promises to Pay the Bearer on Demand 1 Yen in Silver)。表面は全体的に発行当時の写真複製技術では再現困難な薄い青色で印刷されている[10]。図案製作者はお雇い外国人として日本の紙幣製造の技術指導にあたっていたイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである[6]。なお裏面は、中央に偽造罰則文言が記載されている他は彩紋模様のみであるが、印刷部分は以降に発行された券種と比較すると小さめのものとなっており、周囲は印刷のない空白が広がっている。
印章は表面が「日本銀行総裁之章」(篆書・日銀マークの周囲に文字)と「文書局長」(隷書・文字の周囲に竜の模様・割印)、裏面が「金庫局長」(隷書・文字の周囲に竜の模様)となっており[9]、現在法律上有効な日本銀行券のうち、現行の「総裁之印」の印章が印刷されていない唯一の紙幣でもある。なお文書局長の割印は、製造時に原符と呼ばれる発行控えが紙幣右側についており、発行時にこれを切り離して発行の上、紙幣の回収時に文書局長の割印を照合する運用となっていたが、発行枚数が増大するに従いこの運用は無理が出てきたことから、1891年(明治25年)以降は廃されている[11]。
記番号は漢数字となっており、記号(組番号)の範囲は「第壹號」~「第五貳號」で、最大通し番号は「九〇〇〇〇〇」である(ただし「第四壹號」以降は通し番号に欠番がある)。
紙幣用紙は三椏を原料としたもので、強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられていた[10]。「日本銀行券」の文字(横書きで右から左に読む[注 1])と丁字型の透かしがある[12]。
使用色数は、表面4色(内訳は凹版印刷による主模様・地模様1色、文字1色、印章1色、記番号1色(文字の黒色と記番号の黒色は別版のため別色扱い))、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている[3][6]。紙幣の様式としては緻密な凹版印刷による大型の人物肖像、精巧な透かしや三椏を主原料とした用紙など、日本銀行券発行開始以前に発行されていた政府紙幣である改造紙幣の流れを汲むものとなっている[12]。
日本において現在法律上有効な現金通貨(紙幣・硬貨)の中で最古のものである。「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は法的には金兌換券として扱われることになった[13]。しかしながら、兌換されるべき1円金貨は製造されなかったため事実上の不換紙幣となり、1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行による金本位制の廃止に伴って法的にも不換紙幣として扱われることになった[14]。当然現在も不換紙幣としての扱いになるため、銀貨と交換することはできない。先述の通り兌換銀行券整理法や新円切替の対象外であったため、発行から130年以上経た現在も法的には有効であり、法貨として額面である1円の価値が保証されている[1]。
古銭的価値は法貨としての額面価値を上回っており、数千円から数万円以上で取引されているため、現在通貨としては事実上流通していない。
改造一円券
1889年(明治22年)3月15日の大蔵省告示第27号「兌換銀行券ノ内壹圓券改造見本ノ件」[15]により紙幣の様式が公表されている。主な仕様は下記の通り[3]。
- 日本銀行兌換銀券
- 額面 壹圓(1円)
- 表面 武内宿禰(紙幣面の人名表記は「武内大臣」)、一円銀貨、兌換文言、発行根拠文言、偽造変造罰則文言
- 裏面 一円銀貨、英語表記の兌換文言
- 印章 〈表面〉総裁之印 〈裏面〉文書局長、金庫局長
- 銘板 大日本帝國政府大藏省印刷局製造
- 記番号仕様
- 記番号色 赤色
- 記番号構成 (製造時期により2種類あり)
- 〈記号〉「第」+組番号:漢数字1 - 3桁+「號」 〈番号〉通し番号:漢数字6桁
- 〈記号〉組番号:「{」+数字3桁+「}」 〈番号〉通し番号:数字6桁
- 寸法 縦85mm、横145mm
- 製造実績
- 発行開始日 1889年(明治22年)5月1日[16]
- 支払停止日 1958年(昭和33年)10月1日[1]
- 発行終了
- 有効券
大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのため虫やネズミに食害されることが多々あり、また偽造防止対策として採用された薄い青色の鉛白を含有するインキが温泉地で黒変しかえって偽造し易くなるなどの技術的欠陥が明らかになったことから、これを改良するためにこの一円紙幣を含めた「改造券」が発行された[10]。
偽造防止対策として精巧な人物肖像を印刷することとなり[17]、肖像には1887年(明治20年)に選定された日本武尊・武内宿禰・藤原鎌足・聖徳太子・和気清麻呂・坂上田村麻呂・菅原道真の7人の候補の中から、改造一円券には武内宿禰が選ばれている[18]。なお武内宿禰の肖像は、文献資料や絵画・彫刻を参考にしつつ国学者の黒川真頼などの考証を基に[19]、エドアルド・キヨッソーネが神田明神の神官であった本居豊穎をモデルとしてデザインしたものとされる[20]。武内宿禰の肖像が表面右側に描かれており、兌換対象の一円銀貨の図柄が表面の地模様と裏面の両方にあしらわれている[20]。表面には日本語で、裏面には英語で兌換文言が表記されている(此券引かへ𛂋銀貨壱圓相渡可申候也 NIPPON GINKO Promises to Pay the Bearer on Demand One Yen in Silver)[20]。偽造変造罰則文言が表面下部の2ヶ所に印刷されているのも特徴的である[20]。図案製作者は旧券と同じくイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである[19]。
現在法律上有効な日本銀行券のうち、篆書体による「文書局長」「金庫局長」の印章が印刷されている唯一の紙幣でもある。また現在法律上有効な日本銀行券のうち、日本銀行兌換銀券である旧一円券と改造一円券の2種には、現行紙幣にある「発券局長」の印章が印刷されていない。
当初は記番号が漢数字だったが1916年(大正5年)8月15日発行分[21]からはアラビア数字に変更された[3]。古銭収集界での通称としては、記番号の表記から漢数字表記のもの(前期タイプ)を「漢数字1円」、アラビア数字表記のもの(後期タイプ)を「アラビア数字1円」と呼ぶ。いずれも1組につき90万枚、最大通し番号は「九〇〇〇〇〇」「900000」である[3]。漢数字1円の記番号はハンド刷番機で印刷されており、アラビア数字1円の記番号は機械印刷による[22]。なお当初発行分の武内宿禰の肖像が西洋人風の風貌となっていたため、1916年(大正5年)8月15日の記番号の表記変更とあわせて肖像の修正が行われている[20]。
改造一円券の変遷の詳細および組番号の範囲を下表に示す。
通称 | 発行開始日 | 日本銀行への納入期間[3] | 組番号範囲[3] | 組番号表記[3] | 通し番号表記[3] | その他の変更箇所 |
---|---|---|---|---|---|---|
漢数字1円 | 1889年(明治22年)5月1日[16] | 1889年(明治22年)1月 - 1915年(大正4年)下期 |
「第壹號」 - 「第壹五〇號」 | 漢数字 | 漢数字 | |
アラビア数字1円 | 1916年(大正5年)8月15日[21] | 1916年(大正5年)5月29日 - 1942年(昭和17年)7月30日 |
151 - 446[注 2] | アラビア数字 | アラビア数字 | 肖像の一部修正[20] |
黒透かしが採用されており、毛筆による「銀貨壹圓」の文字と桐の図柄が確認できる[20]。なお「銀貨壹圓」の文字は当時の大蔵大臣である松方正義の揮毫によるものである[20]。
使用色数は、表面3色(内訳は凹版印刷による主模様1色、地模様1色、印章・記番号1色)、裏面2色(内訳は主模様1色、印章1色)となっている[3][19]。
「兌換銀券」と表記されているが、1897年(明治30年)10月の貨幣法施行および兌換銀行券条例の改正による銀本位制から金本位制への移行に伴い、以降は法的には金兌換券として扱われることになった[13]。しかしながら、兌換されるべき1円金貨が極端に小型となってしまうことから製造されなかったため[23]、金本位制にはそぐわなかったものの、1943年(昭和18年)12月のい号券の登場まで50年以上にわたって製造が続けられた[24]。このような対応が取られた理由は、貨幣法により発行された本位貨幣(本位金貨)の最小金額が5円となったため、これに合わせて兌換券の最小金額も5円とすべきとの考えから、当初は額面金額1円の兌換銀券を回収し50銭以下の補助貨幣で賄う方針であったが、経済発展に伴い小額の補助貨幣が不足する一方で一円紙幣の需要が増大したため暫定的にそのまま発行が継続されたことによるものである[24]。
また関東大震災により滅失した兌換券の整理を目的とした1927年(昭和2年)2月の兌換銀行券整理法制定の際にも、5円以上の券種と同様に新紙幣への切り替え対象とすることが検討されたが、前述の通り対応する本位貨幣が発行されていないという矛盾があることや、将来的には硬貨に切り替える構想であったという背景などから対象外とされている[23]。
その結果、この改造一円券が事実上の不換紙幣としてそのまま使用され続け、日本銀行券で最も長期間にわたり発行され続けた紙幣となった[25]。1942年(昭和17年)5月の日本銀行法施行による金本位制の廃止に伴って法的にも不換紙幣として扱われることになったため[14]、現在も不換紙幣扱いで銀貨と交換することはできない。先述の通り兌換銀行券整理法や新円切替の対象外であったため、法的には有効であり法貨として額面である1円の価値が保証されている[1]。
古銭的価値は、高いものから順に漢数字1円>アラビア数字1円の組番号100番台>組番号200番台>組番号300番台以降となっており、漢数字1円は数千円から1万円以上の値がつくことがあるのに対し、アラビア数字1円の組番号300番台以降のものは、しばしば未使用の100枚帯封が古銭市場やネットオークション等に現れるほどであり、古銭商で1枚数百円~1000円程度の値段で販売されることはあっても、1枚での買取はほとんど期待できない。
注釈
- ^ a b 厳密には1行1文字の縦書き
- ^ 記録上。実物が確認されているのは445組の通し番号13万番台まで。
- ^ 末期の桐のちらし透かしはい拾錢券、い五錢券、A百円券(一部除く)等と共通化された透かし図柄である。
- ^ a b 1945年(昭和20年)5月頃に発行開始したとされる[33]。第二次世界大戦末期の混乱期であり、本来は官報公示をもって紙幣の様式変更を公布しなければならないところ、公示を行わないまま発行開始されているため正確な発行開始日は不詳。
- ^ 記号の頭1桁と下2桁を除いた残り1 - 4桁
- ^ 1946年(昭和21年)3月19日付け大蔵省告示第123号「昭和二十一年三月十九日ヨリ發行スベキ日本銀行券壹圓券ノ樣式ヲ左ノ略圖ノ通定ム」では同年3月19日と予告されていた。
- ^ 凸版印刷、大日本印刷、共同印刷、および東京証券印刷の4社。
- ^ 五円紙幣は1946年(昭和21年)限りで製造中止となり1948年(昭和23年)からは五円硬貨が流通開始している。
- ^ 十円紙幣は1953年(昭和28年)限りで製造中止となり同年から十円硬貨が登場している。
- ^ 一円銀貨の製造は1897年(明治30年)3月まで。
- ^ 一円金貨の製造は日本銀行兌換銀券発行開始以前の1880年(明治13年)2月まで。
出典
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- ^ 1897年(明治30年)3月29日法律第16號「貨幣法」
- ^ 1897年(明治30年)3月29日法律第18號「兌換銀行券條例中改正」
- ^ 1931年(昭和6年)12月17日勅令第291號「銀行券ノ金貨兌換ニ關スル件」
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