チャイニーズタイペイ チャイニーズタイペイの概要

チャイニーズタイペイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 07:58 UTC 版)

チャイニーズタイペイ
チャイニーズタイペイオリンピック委員会のエンブレム
各種表記
繁体字 中華臺北/中華台北
簡体字 中华台北
拼音 Zhōnghuá Táiběi
日本語漢音読み ちゅうかたいほく
日本語慣用読み ちゅうかタイペイ
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中華民国政府の「中華民国が中国全土を代表する国家である」という建前により「台湾」の名称を使えない一方で、実際には中華民国が中国全土を実効支配していないことなどから「中華民国」という名称も国際社会で受け入れられなくなったこと、中華人民共和国が主張する「一つの中国」論との関係により「中華民国」と「台湾」のいずれの名称も用いることができないことが背景にある。

最初にこの名称が使われたのは、台北市に本部を置く台湾の国内オリンピック委員会(NOC)「中華奧林匹克委員會」の英文名称とオリンピックの参加名義としてである。

オリンピック方式

「中華民国」としてではなく「Chinese Taipei(中華台北)」名義を用い、国旗である青天白日満地紅旗を使用せずに国際的な場に参画することを奧會模式オリンピック方式またはオリンピック委員会方式、Olympic model, Olympic Protocol[1])と称する。オリンピックでは国旗の代わりにオリンピック委員会旗を使用する。入場などの順序はNOC名簿の排列とIOCコード「TPE」により「T」グループとして扱う[2][1]。これにより「C」グループに属する中華人民共和国とは離れる。

その後、アジア太平洋経済協力(APEC)、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)へのオブザーバー参加、世界貿易機関(WTO)での加入名義の略称、経済協力開発機構(OECD)の一部委員会への参加など、国際機関(政府間組織)でも用いられるようになった。オリンピック以外の国際競技大会や国際的な民間組織でも、オリンピック方式で参加している事例がある。

オリンピック委員会旗

チャイニーズタイペイオリンピック委員会の旗

チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗中華奧林匹克委員會旗)は、その意匠から梅花旗と呼ばれることがあり、オリンピックアジア競技大会に中華民国の選手が「チャイニーズタイペイ(中華台北)代表」として出場する際に中華民国の国旗の代わりに使用、掲揚される。

白地の旗で、国旗に使われる青白赤で中華民国の国花中華民國國花)であるをかたどり、その中に中華民国の国章青天白日の紋章)とオリンピックシンボルである五輪をあしらったオリンピック委員会のエンブレムを中央に配置している。大会の表彰式などでは、「チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会歌」(中華民国国旗歌の歌詞を改めたもの)が演奏される。

チャイニーズタイペイオリンピック委員会旗は、オリンピックと直接関係しない大会でも使用される場合がある。バレーボール世界選手権ワールドベースボールクラシックなどの例がある。

総合競技大会・個別競技の統括団体の旗

パラリンピックデフリンピックユニバーシアードといった特定の人々のための総合競技大会や、個別競技の統括団体・代表チームの旗・エンブレムも、多くがオリンピック委員会旗と共通するデザイン要素を有している。チャイニーズタイペイオリンピック委員会ウェブサイト内のページ[3]に各競技の統括団体のエンブレムとそれぞれのサイトへのリンクがまとめられている。

オリンピックにおける両岸問題

中華民国におけるオリンピック委員会の歴史は、1922年上海に創設された「中華業余運動連合会(中華業餘運動聯合會=中華アマチュアスポーツ連合会)」が、同年パリで行われた国際オリンピック委員会(IOC)年次総会でNOC「中国オリンピック委員会(中國奧林匹克委員會、China Olympic Committee)」として認められたことに始まる。この時聯合會主席で外相などの要職を歴任した王正廷がIOC委員に就任した。1924年に中華業余運動連合会は中華全国体育協進会に改組した。1932年ロサンゼルス1936年ベルリン1948年ロンドンの3大会では、中国代表選手はこの体制の下で参加した。

国共内戦の結果、1949年中国大陸中華人民共和国が成立し、中華民国政府は台湾に移転した1951年に「中国オリンピック委員会」は台湾に移転したと通知され、IOCに認められた。中華人民共和国の首都・北京には中華全国体育総会が設立され、「中国オリンピック委員会」としての活動を始めた。1952年ヘルシンキオリンピックでは、中華民国・中華人民共和国双方の参加が決まったが、中華民国側がこれに反発して参加を取りやめた。開催国フィンランド1950年1月13日に中華人民共和国を国家承認している[4]

1954年にはアテネで開かれたIOC総会で2つの「中国オリンピック委員会」がともに承認された。1956年メルボルンオリンピックでは、中華民国が国旗(青天白日満地紅旗)を掲げて参加することに抗議して、中華人民共和国が直前に参加を取りやめた。1958年には北京のオリンピック委員会が「二つの中国」を作る動きに抗議するとして、IOCと複数の主要な国際競技連盟(IF)を脱退、関係断絶を宣言した。IOCに不満を持つ国々と共に独自に新興国競技大会も行った。

1959年5月28日IOC総会で、台北のオリンピック委員会について全中国を代表・統括していないとして、「中国オリンピック委員会」名義で承認し続けることはできないとの決議が採択された。台北のオリンピック委員会はこれを受けて即座に名称を「中華民国オリンピック委員会(中華民國奧林匹克委員會、Republic of China Olympic Committee)」と改め、IOCに申請した。IOCは1960年にこれを認めたものの、試合では「台湾Taiwan)」または「フォルモサFormosa)」の名義を使用することを求めた。台北側はこれら台湾名義の使用を受け入れず、同年のローマオリンピックでは「Formosa」の呼称が使われたことに対して入場式で抗議を行っている。1964年東京オリンピックには「Taiwan 中華民国」名義で、1968年メキシコシティーオリンピックには「Taiwan」名義で参加した。

1968年、IOCでは中華民国の英語表記「Republic Of China」の略称である「R.O.C.」という名称を使うことで一応の決着を見た。冬季大会初参加となる1972年札幌オリンピックでは「中華民国」名義で、同年のミュンヘンオリンピック1976年の冬季大会インスブルックオリンピックでは「Republik China(中華民国)」名義で参加した。

1971年国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり「蔣介石の代表(中華民国)」を即時追放するという内容の国連総会決議2758(アルバニア決議)を採択したことにより、中華民国は国際連合脱退を宣言した。1970年にカナダと国交を樹立したことを皮切りに、中華人民共和国は西側諸国との国交樹立を進め、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。

こうした動きに対応するため、1973年に台北のオリンピック委員会は日本の日本スポーツ協会に相当する「中華民国体育共進会」と、「中華オリンピック委員会(中華奧林匹克委員會)」の2つの組織に分割された。一方、1975年4月、北京側はIOCに復帰を申請した。この復帰申請は書類不備を理由に棚上げされたが、国連と同様に一国一代表の前提に立ち、中華民国追放を条件(「国連方式」)としていたために難航した。「中華人民共和国復帰問題」は当時のIOCと国際スポーツ界における最大の懸案の一つとなった。

1976年モントリオールオリンピックで、開催国のカナダは、「R.O.C.(中華民国)」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「Taiwan」という呼称を使い、五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華オリンピック委員会は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。

中華人民共和国側はIOCとIFへの復帰交渉を通じて、段階的に譲歩した。「国連方式」を断念し、中華民国除名の主張を撤回、台湾を含む統一チームでの参加を主張して態度を軟化させた。最終的には「中国の一地域」という前提で台湾を別個のチームとすることを認めた。

1979年10月25日、名古屋で開かれたIOC理事会の決議で、台北の中華オリンピック委員会が「チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会Chinese Taipei Olympic Committee)」の名称のもと、旗・歌についてはそれまでのもの(中華民国の国旗・国歌)と異なるIOCが認めたものを使うという条件で残留し、中華人民共和国が「中国オリンピック委員会(中国奥林匹克委员会、Chinese Olympic Committee)」の名義で国旗五星紅旗と国歌「義勇軍進行曲」を使用してオリンピックに復帰することが認められた(名古屋決議)。

その後、現行のシンボルや他のNOCとの対等な権利・地位、IOCや関連IFでの会員資格の保証が認められたことにより、1981年3月23日、ローザンヌで行われたIOCとの協議の結果(ローザンヌ協定中国語版[5])、チャイニーズタイペイ・オリンピック委員会は英文名称・旗・エンブレムの変更を受け入れた。

1984年サラエボ冬季)・ロサンゼルス夏季)両大会から、台湾海峡両岸の選手団が共にオリンピックに参加するようになった。

「Chinese Taipei」の中国語名称については、台北側が主張する「中台北」にするか、北京側の主張する「中台北」にするかをめぐり、1989年になるまで結論が出なかった。1990年アジア競技大会をはじめとする北京で開催される複数の国際大会を控えてとりまとめる必要があった。1989年4月6日、チャイニーズタイペイオリンピック委員会秘書長(事務局長)李慶華と中国オリンピック委員会主席(会長)何振梁が香港で行った協議で、台湾のスポーツ団体の中国語名称を「中華台北」とすることで合意した。同月20日に開会したアジアユース体操選手権大会に参加するためにチャイニーズタイペイ代表選手が初めて北京に向かったことで、台湾海峡両岸のスポーツ直接交流が始まった。


注釈

  1. ^ 2020東京オリンピックの開会式では、50音順の入場順で大韓民国の直後、チャイニーズタイペイではなくタイペイ、または台湾(たいわん)の位置となった。

出典

  1. ^ a b 洛桑協議及奧會模式(中華奧林匹克委員會)
  2. ^ 奧會模式(教育部體育署)
  3. ^ 中華奧林匹克委員會--承認協會
  4. ^ 中国同芬兰的关系中華人民共和国外交部
  5. ^ 【中国時報】市民団体と選手対立 「台湾」巡る国民投票で」(琉球新報)
  6. ^ 关于正确使用涉台宣传用语的意见 - ウェイバックマシン(2017年8月21日アーカイブ分)(中共潍坊市委台湾工作办公室 潍坊市人民政府台湾事务办公室
  7. ^ 『台湾週報』2008年7月11日「台湾の北京五輪参加登録名「中華台北」が「中国台北」へと変更されたことに抗議」(2009年3月17日時点のアーカイブ
  8. ^ 国台办:“中国台北”称谓不是矮化台湾(新快报)
  9. ^ 新華社發佈報導禁用詞:「中華民國、台灣政府」通通不准用,「九二共識」不可提「一中各表」(風傳媒 2017年7月20日)
  10. ^ 中國官媒稱台灣「中國台北」 張小月:正式提出抗議台湾『蘋果日報』 2017年4月17日
  11. ^ 『台湾週報』2007年4月24日「陳水扁総統が「台湾」の名で国際社会に進む重要性を強調」(2009年3月17日時点のアーカイブ
  12. ^ 『台湾週報』2008年4月7日「馬英九・次期総統:「中華台北」名義でWHOオブザーバー参加を」(2009年3月17日時点のアーカイブ
  13. ^ IOCが再度書簡「外的勢力の干渉禁じる」 五輪名義めぐる国民投票で/台湾”. 中央社フォーカス台湾. 2020年6月8日閲覧。
  14. ^ NHK NEWS WEB (2018年11月25日). “東京五輪 「台湾」名称で参加申請の住民投票は不成立”. 日本放送協会. オリジナルの2019年12月31日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/nOYl5 2019年12月31日閲覧。 
  15. ^ 「台湾」名義での東京五輪参加めぐる国民投票に反対票を=中華五輪委”. 中央社フォーカス台湾. 2020年6月8日閲覧。
  16. ^ “パリ五輪「台湾」で参加を 世論調査で「国名」なしに不満82%”. 毎日新聞. (2021年8月13日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210813005705/https://mainichi.jp/articles/20210813/k00/00m/030/023000c 
  17. ^ a b “「私は台湾人」9割、「日本に好感」8割強―台湾世論調査”. Record China. (2021年8月13日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210813014915/https://www.recordchina.co.jp/b880837-s25-c30-d0052.html 
  18. ^ “NHK和久田麻由子アナ「台湾です」と紹介”. 日刊スポーツ. (2021年7月23日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210725050822/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202107230001178.html 
  19. ^ a b “中国、米の五輪中継に抗議 「台湾抜き」地図表示で”. 時事通信. (2021年7月25日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210725043111/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021072500090 
  20. ^ “台湾、「チ」ではなくタイペイの「タ」で入場 東京五輪開会式”. 毎日新聞. (2021年7月25日). https://mainichi.jp/articles/20210725/k00/00m/030/060000c 2021年7月25日閲覧。 
  21. ^ “环时锐评:睁大眼睛,阻止一些势力借东京奥运会舞台做手脚”. 環球時報. (2021年7月24日). オリジナルの2021年7月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210725140141/https://3w.huanqiu.com/a/de583b/443wCMD4mNy 
  22. ^ Union Cycliste Internationale(2012年12月17日時点のアーカイブ
  23. ^ 2013ミス・インターナショナル世界大会 出場者一覧|ミス・インターナショナル(2014年2月8日時点のアーカイブ
  24. ^ ISO 3166 — Codes for the representation of names of countries and their subdivisions” (英語). ISO. 2018年1月29日閲覧。
  25. ^ Huang Sheng-feng (2015年8月3日). “It’s Time to Rectify Taiwan’s Country Codes”. Thinking Taiwan. 2015年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月9日閲覧。
  26. ^ “台湾がWHOに正式抗議、「中国台湾省」の表記に対し”. AFP通信. (2011年5月17日). https://www.afpbb.com/articles/-/2800701 2015年12月9日閲覧。 
  27. ^ “【解説】台湾はなぜWHOから排除されるのか? 今後の見通しは?”. AFP通信. (2020年5月19日). https://www.afpbb.com/articles/-/3283784 2015年12月9日閲覧。 


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