職務経歴
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1969年4月、NHK入局。NHKの採用試験時に、アナウンサー・記者・放送・経営管理の4項目について志望順位を書くよう求められたが、放送は仕事内容のイメージが湧かず、経営管理は自分に向いていないと考えたため、アナウンサー、記者の順に志望を出した。結果的にそれが通った事がアナウンサーとしてのキャリアの端緒であった。同期に佐々木敦など。2ヶ月間の研修を経て、6月にNHK高知放送局へ赴任し、新人アナウンサーとして勤務し、災害時には現場中継などもおこなった。 1974年、東京アナウンス室へ異動。 NHKで脚光を浴びるきっかけとなったものが、若手の頃のラジオ第1でのインタビューだった。この若手時代に倒置法を用いた独特の話法を編み出す。これを皮切りに総合テレビ『ひるのプレゼント』を担当して人気を集め、ニュースキャスターを担当するようになり、1985年から1988年には7時のNHKニュースのキャスターもつとめた。1989年、1990年には『NHK紅白歌合戦』の総合司会に抜擢された。他にも『連想ゲーム』「NHKスペシャル」などにも多数出演するなどして(→#東京異動後 参照)、NHKアナウンサーのなかの中核的な存在となっていった。 1990年、主幹から局次長級エグゼクティブアナウンサーに特進。 1991年、『NHKモーニングワイド』のキャスターを務めていた時に、泥酔してタクシーの運転手に対し車載電話で殴って足蹴りする暴行を働き、その責任を取って『NHKモーニングワイド』を年度途中で降板することになった。その後は『NHKスペシャル』に不定期出演する程度であったが、1995年に『NHKニュース11』で本格的に復帰した。しかし、NHKニュース11での復帰後でもスタッフにペンを投げつけるシーンが放送されたことがあり後日番組で謝罪した。 NHK退職後は後輩の宮本隆治をはじめとするNHK退職アナウンサー設立による有限責任事業組合ことばの杜において、青少年・児童向けの朗読など社会貢献活動にも携わる。衛星放送や愛媛県のローカル番組では民放出演があったが、原則としてフリーランスになってからもNHKの準専属的に出演してきた。2008年5月、放送人の会放送人グランプリ特別賞受賞、2010年7月、財団法人放送文化基金放送文化金賞受賞。2015年10月から放送されたTBSテレビ「日曜劇場・下町ロケット」で、ナレーターながらも在京キー局民放で初レギュラーを果たした。
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