Xを殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:44 UTC 版)
「藤沢市母娘ら5人殺害事件」の記事における「Xを殺害」の解説
Fは1981年9月上旬 - 下旬にかけ、後に凶器として用いた刃物(繰り小刀・刺身包丁)を相次いで購入したほか、同月中旬には犯行後の逃走場所を確保するため、池袋近辺のアパートを賃貸契約した。一方でXは当時、覚醒剤の売買で損害を出して70 - 80万円の借金を抱えており、Fへの借金を返済できる状態ではなかった。 「返済期限」と定めていた1981年10月5日、Fは帰宅後に「(外出中に)Xから電話があった」と聞かされたため、2度目の電話を待ち続けたが、その後Xからの電話は掛かってこなかった。一方でXは同日18時ごろにいったん帰宅したが、「友人のところに行く」と言い残してバイクで自宅から外出し、翌日(10月6日)0時過ぎに大船駅付近のキャバレーで友人のボーイと会っていた。一方、同夜には横浜市戸塚区笠間町(現:栄区笠間町)の路上で覚醒剤の売買をめぐり、FやYとは別の元少年院仲間 (Z) と大喧嘩して顔面を負傷し、パトカーで駆け付けた警察官に諫められていた Fは「Xに裏切られた。もう殺すしかない」と殺意を固め、事前に用意していた凶器類をショルダーバッグに詰め込んで自動二輪車でX宅に向かい、翌日(1981年10月6日)深夜3時ごろにX宅に到着した。この時はXは不在だったが、いったん引き返そうと走行していたところ、湘南モノレール高架下にてバイクで大船駅方面へ走行するXを見つけ、「なぜ金を返さない。返す気はあるのか?」と問い質した。しかし、Xが「もう返す気は無い。これ以上お前とは付き合いたくない。俺には知り合いのヤクザがいる。」「警察に犯行をチクる(密告する)ぞ」と逆にFを脅した。FはXが一向に誠意ある態度を見せなかったことに激怒し、「Xを人気のない場所へ連れて行って殺害しよう」と考え、そのための口実として「最後のドライブだ」と提案してともにバイクで走り、国鉄根岸線・本郷台駅(大船駅の隣駅)の駐輪場でXに被らせるヘルメットを盗んでから、ともに中田町方面まで走行した。 1981年10月6日5時ごろ、Fは現場から約1 km手前でバイクを停車した。その上で、FはXに「お前のバイクの調子を見てやる」と申し出、Xのバイクに2人乗りして殺害現場(キャベツ畑)へ乗り入れさせた、バイクを降りると刺身包丁を右手に持ち、Xを「ぶっ殺してやる」などと脅して道端でうつぶせにさせた。そしてショルダーバッグからガソリン入りの瓶を取り出してガソリンをXにかけ、点火したマッチを投げつけたが、当日は小雨が降っていたため引火しなかった。また、2本目のマッチを擦ろうとしたところでXが立ち上がって抵抗したため、「動くな!」と叫びながらXに2回包丁を突き出したところ、2度目で刃先がXの大腿部に深く突き刺さった。しかし刃から柄が抜け落ち、Xは自ら刃を大腿部から抜き取り、その刃を持ったまま走り出そうとしたため、Fはくり小刀・落ちていた角材をそれぞれ持ち、Xに「包丁を捨てろ」と命じて包丁を捨てさせた。Xは力尽きて歩けなくなったが、FはXが自力で包丁を引き抜いたことから「油断させた上で殺そう」と考え、Xに「俺が悪かった。背負って医者に連れて行ってやる」と謝罪しながら近づき、くり小刀で11か所(背中・首・胸)を滅多刺しにして殺害した。死因は左総頚動脈切断による失血死で(第1の殺人)、左胸の傷は肺に達していた。
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