W3C
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スワーツは、World Wide Web Consortium (W3C)のRDFコア・ワーキンググループの委員となり、RDF/XMLのメディア型を定義するRFC 3870を立案した。メディア型とは、ファイル・フォーマットの表現方法を決めて、ソフトウェアがフォーマットを識別できるようにするための符号である。例えば、Multipurpose Internet Mail Extensions(MIME)は、電子メールの画像データの表現方法を決めて、メールソフトがデータを識別し、画像付きのメールを表示できるようにした。スワーツたちが作ったRFC3870は、RDFをXML形式で表現すると決めて、ウェブブラウザやフィードリーダーがRDFを識別できるようにするためのメディア型である。この仕様により、asahi.comがRSSで見出しの配信を始めたり、ウェブサイトのプッシュ配信が本格化した。ただし、RDFは、単なるRSSではなく、セマンティック・ウェブを目指した技術であり難解だったために、その後のRSSでは使用されなくなった。
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W3C
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DEC時代にウェブの可能性を理解したコトックは、World Wide Web Consortiumの設立にも関わっている。1994年初め、スイスのチューリッヒでティム・バーナーズ=リーとマイケル・ダートウゾスは、MITに新たな組織を設立する件を話し合っている。1994年春、コトックらDEC代表者はCERNのバーナーズ=リーを訪れ、ウェブ開発のためのオープン標準を作成するコンソシアムの必要性を話し合った。リーは Weaving the Web で、このDECとの話し合いについて言及している。 1997年3月にはW3Cの副会長となった。 コトックは数百人ものW3Cメンバーを勧誘し、利害の一致する勢力を代表するようになり、MITコンピュータ科学・人工知能研究所にあるW3Cのサイトを管理し、彼は世界的規模のなW3CシステムとWebチームを率いて、数百万ページを抱えるW3Cのウェブサイトと、メーリングリストのアーカイブを管理した。 またコトックはW3Cホスト、会員組織、オフィスなどの契約関係も管理、インドと中国に新たなW3Cの事務所を設立する件でも尽力した。W3C管理チームやW3C諮問委員会などと共に、途上国向けの会費の削減にも取り組んでいる。HTMLに関する特許勧告グループも指揮し、W3Cの特許方針策定にも深く関与した。 コトックはW3Cの活動を構成していた、技術と社会の領域を先導したと言える。当時の活動にはデジタル署名、電子商取引、公的政策、PICS、RDFメタデータ、プライバシー問題、セキュリティ問題などが含まれていた
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