スプリングフィールドM1870
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 16:25 UTC 版)
スプリングフィールドM1870 | |
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種類 | 後装式ライフル銃 |
製造国 |
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設計・製造 |
アースキン・S・オーリン スプリングフィールド造兵廠 |
年代 | 19世紀中ごろ |
仕様 | |
種別 | 軍用小銃 |
口径 | 50/70口径(12.7mm) |
銃身長 | 32.5インチ |
使用弾薬 | .50-70ガバメント弾 |
装弾数 | 1発 |
作動方式 | ヒンジ式、回転式尾栓 |
全長 | 52インチ(1300mm) |
発射速度 | 8~10発/分 |
歴史 | |
設計年 | 1870年 |
製造期間 | 1870年~1873年 |
配備先 | アメリカ陸軍 |
バリエーション | M1870レミントン・ネービー |
製造数 | 11,350挺 |
スプリングフィールドM1870(英:Springfield Model 1870)はアースキン・オーリンが設計した数種類の「トラップドア・スプリングフィールド」後装式ライフル銃の一つである。M1870はスプリングフィールドM1868のマイナーチェンジモデルで、多くの機能はM1868と同じである。
なお、スプリングフィールドM1870は、スプリングフィールドM1870レミントン・ネービーモデルを指す場合もある。この銃はレミントン・アームズ社のローリング・ブロック式ライフルをスプリングフィールド社がライセンス生産した艦上用小銃である。
概要
トラップドア・スプリングフィールドは、前装式スプリングフィールドM1863を、比較的低コストで後装式に改造したものであり、発射速度を4発/分から12発/分と劇的に改善した。最初のモデルであるスプリングフィールドM1866は、後装用ブリーチ・ブロックを追加したのみであり、次のスプリングフィールドM1866はM1863の58口径の銃身にライナーを挿入することにより50口径にボアダウンした。しかし、ライナーは実際の使用では信頼性にかけたため、後期モデルであるM1868は銃身そのものを50口径のものに交換した。M1870も同様である。
M1870には細部が異なる2つのバージョンがある。最初のバージョンは1870年と1871年に製造された。M1868に比べ、照門が改良され、短いレシーバーが用いられた。M1870の最初のバージョンでは、照門はほとんどレシーバーの位置にあった。この前期バージョンは1,000丁が製造された。
次のバージョンは1872年と1873年に製造された。このバージョンでは照門は上方に移され、レシーバーから0.5インチほど離れることとなった。このバージョンはダブル・ショルダー型の槊杖(さくじょう)を使用した。最初のバージョンの槊杖はM1868と同じものであった。また、後期バージョンではブリーチ・ブロック下部の形状が長く高いアーチ型とされたが、前期バージョンではM1868と同じ短いアーチであった。後期バージョンは10,000丁が製造された。
1871年には銃身を短くしたカービンバージョンが製造された。製造数は約350丁であった。
M1870は、バージョンに関わらず.50-70ガバメント弾のカートリッジを使用した。
著名な使用者
有名なガンマンであるワイルド・ビル・ヒコックはM1870のバリエーションを使用していた。「ヒコック・ライフル」は銃身長が29と5/8インチで、カービンモデルよりは長く、歩兵用ライフルモデルよりは短かった。また、台尻がケンタッキー・ライフル型の傾斜した台尻となっていた。ブリーチ・ブロックには1870年の刻印があり、ロックプレートには1863年の刻印があることから、もともとM1863として製造されたものがM1870に改造されたものであることがわかる。銃床には、ナイフで「J. B. Hickok」との名前が刻まれている。ヒコックは1876年にこの銃と共に埋葬された。しかしながら、1879年にモーリア山に改葬された際に、誰かが棺からこの銃を取り出したものである[1]。
脚注
- ^ Rosa
参考資料
- The .45-70 Springfield-Book II-1865-1893.
- Joseph G. Rosa, "Wild Bill Hickok, gunfighter: an account of Hickok's gunfights". University of Oklahoma Press (May 26, 2003). ISBN 978-0806135359
関連項目
「Springfield Model 1870」の例文・使い方・用例・文例
- 権威によって話す時の、ローマ法王の絶対確実性を宣言した1869年−1870年のバチカン公会議
- 1852年から1870年までのフランスにおけるナポレオン3世の皇帝政府
- 米国の大統領の経済顧問(1870年−1965年)
- 英国の作家(フランス生まれ)で、特に子供のための詩で知られる(1870年−1953年)
- 英国の作家で、小説が社会的な不当な扱いを表現し、批判した(1812年−1870年)
- フランスの作家で、向こう見ずな歴史の話で知られる(1802年−1870年)
- 米国の海軍大将で、アメリカ南北戦争の時に北軍の船を率いた(1801年−1870年)
- 米国のジャーナリストで、多数に発表されたコラムで恋に悩む人へのアドバイスを書いた(1870年−1951年)
- フランスの作家で、多くの本で彼の兄エドモンド・デ・ゴンクールと協力した(1830年−1870年)
- オーストリアの建築家で、直線ユニットの使用で知られる(1870年−1956年)
- スコットランドのバラード歌手でミュージックホール・コメディアン(1870-1950年)
- アメリカ人の司令官で、南北戦争で南部連合軍を率いた(1807年−1870年)
- ハンガリーのオペレッタの作曲家(1870年−1948年)
- 共産党のロシア人創設者で,ロシア革命の指導者で,ソビエト連邦の最初の指導者(1870-1924年)
- オーストリアの建築家(1870年−1933年)
- 米国の料理人で、免疫のある腸チフス保菌者であり、何十人もの人々に感染させた(1870年−1938年)
- イタリアの教育者で、知的障害児を教える方法を開発して、子供中心のアプローチを主唱した(1870年−1952年)
- 英国の短編小説の作家(1870年−1916年)
- 米国の作家(1870年−1902年)
- 米国の画家(1870年−1966年)
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