スプリングフィールドM1869
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/03 16:24 UTC 版)
スプリングフィールドM1869 | |
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種類 | 後装式ライフル銃 |
製造国 |
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設計・製造 |
アースキン・S・オーリン スプリングフィールド造兵廠 |
年代 | 19世紀中ごろ |
仕様 | |
種別 | 軍用小銃 |
銃身長 | 29.5インチ |
使用弾薬 |
.50CF .50-55-450 |
装弾数 | 1発 |
作動方式 | ヒンジ式、回転式尾栓 |
全長 | 48.8インチ |
発射速度 | 8~10発/分 |
歴史 | |
設計年 | 1869年 |
配備先 | アメリカ陸軍 |
製造数 | 3400挺 |
スプリングフィールドM1869(英:Springfield Model 1869)はアースキン・オーリンが設計した数種類の「トラップドア・スプリングフィールド」後装式ライフル銃の一つである。
概要
トラップドア・スプリングフィールドは、前装式スプリングフィールドM1863を、比較的低コストで後装式に改造したものである。M1869カデット・ライフルは、スプリングフィールドM1868の短銃身バージョンであり、M1868の32.5インチに対し、銃身長29.5インチ、全長は48.8インチに短縮された。レシーバー、ブリーチ・ブロックはM1868と同一であるが、銃床はM1869専用に設計されたものである。M1869の台尻プレートは薄く、また前床もM1869より細かった[1]。
参考資料
- ^ The 45-70 Springfield Book II 1865-1893
関連項目
「Springfield Model 1869」の例文・使い方・用例・文例
- 権威によって話す時の、ローマ法王の絶対確実性を宣言した1869年−1870年のバチカン公会議
- フランスの恋愛作品を書いた作曲家(1803年−1869年)
- 首相としてのファシスト・ドイツに対する慰撫の政策を進めた英国の政治家(1869年−1940年)
- 米国の神経科医で、脳と脳下垂体腺の研究で知られ、クッシング症候群を特定した(1869年−1939年)
- フランスの作家、劇作家で、現代フランス文学の父とされる(1869年−1951年)
- 米国の金融家で、エリー運河のコントロールを獲得して、彼が金市場を追い詰めるのを試みた1869年に金融恐慌を引き起こした(1836年−1892年)
- 米国の毒物学者で、産業毒の研究で知られる(1869年−1970年)
- 米国の労働指導者、好戦的な社会主義者で、世界の労働者の創始者のうちの1人(1869年−1928年)
- カナダの経済学者で、ユーモラスな著書でよく知られる(1869年−1944年)
- 英国の建築家、ニューデリー市を計画した(1869年−1944年)
- 米国の詩人(1869年−1950年)
- 米国の第14代大統領(1804年−1869年)
- ボヘミアンの生理学者で、プルキンエ細胞とプルキンエ・ネットワークの発見で知られる(1787年−1869年)
- 米国の技術者(ドイツ生まれ)で、ブルックリン橋を設計し着工した(1806年−1869年)
- 英国の医者で、引退後に有名なシソーラスを編集した(1779年−1869年)
- スコットランドの物理学者で、霧箱を発明した(1869年−1959年)
- 英国の指揮者(1869年−1944年)
- 米国の影響力がある建築家(1869年−1959年)
- 米国の演劇公演のプロデューサーで、ジーグフェルド・フォリーズとして知られる一連の突飛なレビューで知られる(1869年−1932年)
- 1860年から1869年までの10年間
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