NPO設立以前(-2011)
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「蔵の街遊覧船」の記事における「NPO設立以前(-2011)」の解説
栃木の町は江戸時代に日光例幣使街道の宿場町(栃木宿)、および巴波川の舟運を利用した物資の集散地(河岸)として江戸と結び付いて発展し、小江戸と称された。往時は栃木から底の浅い都賀船で木材・麻・石灰・米などを積み出し、新波河岸(現・栃木市藤岡町部屋)で高瀬舟に積み替え、江戸へ出荷していた。現在でも巴波川沿いには、土蔵や塚田歴史伝説館や横山郷土館が建ち、当時の繁栄を現代に伝えている。しかし、舟運が途絶えると川は排水で汚れ、暗渠(あんきょ)化が検討されたこともあった。 栃木市は1988年(昭和63年)に栃木県庁から「誇れるまちづくり事業計画」の指定を受けたことを契機に蔵を活用したまちづくりに着手し、蔵の街大通りや巴波川綱手道の景観整備に着手した。巴波川綱手道では天然石舗装、ヤナギの植樹、擬木柵・街路灯・ポケットパーク設置などが実施された。行政による景観整備が進む中、2005年(平成17年)に栃木市役所、栃木市観光協会、栃木市商店街連合会、栃木商工会議所青年経営者会、栃木青年会議所など8団体が加盟して「うずま川遊会」が発足した。同会は川を活用した地域活性化に向けて活動を開始し、目の前に川はあれど船に乗った経験のある人は少ないということを発見、遊覧船の構想が浮上した。うずま川遊会は、まず船を借りてきて、イベントとして巴波川で運航すると、利用客から良い感触が得られた。そこで長さ6.6 mの船を自作し、夏と秋に開催したイベントで体験乗船を開催、合計11日で予想を上回る約1,500人の乗船者を集めた。うずま川遊会は翌年も継続することを決定し、不足する船頭の公募を開始した。 2006年(平成18年)より週末に定期運航するようになり、遊覧船の存在を知ってもらおうと行灯によるライトアップや、こいのぼりなど季節性のある装飾を実施するなど工夫を重ねたことで、乗船客は年々増加し、2007年(平成19年)には「栃木市の観光の目玉になっている」と報じられた。2009年(平成21年)6月1日には栃木市の歴史的町並み景観形成地区が都市景観大賞美しいまちなみ大賞(国土交通大臣賞)を受賞し、うずま川遊会が被表彰団体の1つとなり、同年7月1日から年末年始を除く毎日運航となった。これに合わせ、船を2艘から4艘に増強した。2010年(平成22年)5月1日には「蔵の街遊覧船待合処」が湊町に開所した。 2011年(平成23年)には、4月2日に東京・日本橋で開催予定の「日本橋お江戸舟運まつり」で舟運を再現してほしいとの依頼が小江戸サミット参加都市にあり、栃木市では巴波川から東京まで遊覧船を使って川下りする計画が持ち上がった。しかし東日本大震災が発生したため一旦中止が決定し、その後「日本に元気を与える祭り」として10月30日に延期開催した。栃木市からは東京まで120 kmの川下りを4日かけて実際に行い、まつりに参加した。
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