Macintoshの発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ()
「Apple」の記事における「Macintoshの発表」の解説
1980年秋にLisaの開発チームから外された後、ジョブズはジェフ・ラスキンが立ち上げた新型コンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」のプロジェクトに参画した。Macintoshの開発は1979年9月に始まり、1,000ドル程度の安価な一般向けコンピュータというコンセプトの元で進められていたが、ジョブズはLisaに匹敵するGUIを持つ高性能なマシンへの方向転換を主張し、性能よりも価格の抑制を重視するラスキンとは激しく対立した。最終的に、ラスキンはジョブズとの争いに敗れて1981年1月にプロジェクトのリーダーを降りることとなり、1982年3月にはAppleを去った。Lisaプロジェクトに強い対抗心を抱いていたジョブズは、Macintoshの開発をApple本社とは独立したプロジェクトとして推し進め、「海軍に入るより、海賊であれ(It's better to be a pirate than to join the navy)」などと説いて開発メンバーの連帯感と反骨精神を鼓舞した。 長い開発期間を経て、Macintoshは1984年1月24日に発売された。2日前の1月22日には、第18回スーパーボウルの放送でリドリー・スコットによる有名なテレビCM『1984』がオンエアされており、Macintoshには大きな注目が集まった。AppleによってThe computer for the rest of usとして打ち出されたMacintoshは、一般向けPCとしては初めてマウス操作によるGUIを搭載しており、当初はメディアからの称賛を浴び、1984年4月末の時点で5万台を売り上げるなど販売も非常に好調だった。しかし、2,495ドルという価格が一般向けPCとしては高額であったことと、対応ソフトの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始め、開発担当者であるジョブズとスカリーらApple経営陣との関係も悪化した。 スカリーはジョブズをMacintosh部門から降ろすことを決定し、1985年4月には取締役会から全会一致の承認を得た。この決定に反発したジョブズは、スカリーが中国に出張する隙に彼を解任することを画策したが、スカリーはフランス法人のトップであるジャン=ルイ・ガセーから事前にジョブズの計画について知らされ、出張をキャンセルし重役会議でジョブズと対峙した。会議では、その場に居たAppleの重役の全員がスカリーへの支持を表明し、その後取締役会もスカリーへの支持を表明したため、ジョブズは1985年5月31日に全ての業務から外され、何の実権も持たない会長職を与えられた。
※この「Macintoshの発表」の解説は、「Apple」の解説の一部です。
「Macintoshの発表」を含む「Apple」の記事については、「Apple」の概要を参照ください。
Macintoshの発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:36 UTC 版)
「Appleの歴史」の記事における「Macintoshの発表」の解説
ジョブズはLisaの開発チームから外された後、スコットの勧めもあってジェフ・ラスキンが立ち上げた新型PC「Macintosh(マッキントッシュ)」のプロジェクトに加わった。1979年9月に始まったMacintoshの開発は、1,000ドル程度の安価な一般向けPCというコンセプトの元で進められていたが、ジョブズはLisaと同じプロセッサ(MC68000)を搭載し、GUIとマウスを持つ高性能なマシンへの方向転換を試み、性能よりも価格の抑制を重視していたラスキンとは激しく対立した。最終的に、ラスキンはジョブズとの「性格の不一致」を理由に1981年1月にプロジェクトから降りることとなり、1982年3月にはAppleを去った。自らが追い出されたLisaプロジェクトに対抗心を抱いていたジョブズは、MacintoshをApple本社とは独立したプロジェクトとして推し進めた。ジョブズは「海軍に入るよりも、海賊であれ」などと説いて開発チームの連帯感と反骨精神を煽り、プロジェクトを強力に主導した。 Macintoshは1984年1月24日に発売された。その2日前には、リドリー・スコットの監督によるテレビCM『1984』が第18回スーパーボウルで放映されており、Macintoshの発表には大きな注目が集まった。一般向けPCとしては初めてGUIを持ち、マウスでの操作を実現していたMacintoshは、当初はメディアからの喝采を浴び、販売も非常に好調であり、1984年4月末の時点ですでに5万台を売り上げていた。しかし、価格が2,495ドルと比較的高額であったことと、対応ソフトウェアの不足がわざわいし、発売から数カ月が過ぎるとMacintoshの販売は停滞し始めた。Macintoshへの期待が失望に変わると、開発担当者であるジョブズとスカリーらApple経営陣との対立が深刻化した。
※この「Macintoshの発表」の解説は、「Appleの歴史」の解説の一部です。
「Macintoshの発表」を含む「Appleの歴史」の記事については、「Appleの歴史」の概要を参照ください。
- Macintoshの発表のページへのリンク