Ca.331 C.N. (Ca.331B)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 10:23 UTC 版)
「カプロニ Ca.331」の記事における「Ca.331 C.N. (Ca.331B)」の解説
1942年、イタリアでは強大な防空能力の必要性を認める程に戦況が変化した。これに伴い、1942年5月にイタリア空軍省は第二のCa.331試作機を発注した。もともとは第二のCa.331 0.A.として計画されたものの、代わりに完成したのは初の試作夜間戦闘機型であった。試作夜間戦闘機はCa.331 C.N.と命名され、C.N.とは「Caccia Notturna」、ナイトファイターの意味である。Ca.331Bとしても知られた。 Ca.331 C.N.が初飛行したのは1942年夏である。Ca.331 O.A.と異なり、段付きのコックピットを備え、機種のガラス張りの面積が減った。本機の武装は1943年春に装備され、4門の20mmマウザーMG151を前方固定装備し、さらに4挺の12.7mmブレダ-SAFAT機関銃を装備、うち2挺は前方固定機銃とし、残りは1挺を胴体後方銃塔へ、1挺を胴体下部に搭載して構成された。もともと装備していた800馬力(596kW)12気筒空冷イソッタ・フラスキーニ・デルタIVエンジンも1943年春のうちに850馬力(633kW)デルタVI、二段階過給機付きへと換装された。Ca.331 O.A.試作機と同じく、1943年9月8日のイタリアの休戦協定発効の際、本機はタリエドにあるカプロニ社の飛行場にあり、同じ運命をたどった。ドイツ軍はここを包囲し、本機を解体してドイツへと船で輸送した。 第二のCa.331 C.N.試作機が製造されたが、最初の機と違う点は武装が2門の20mmイカリア機関砲および4挺の12.7mmブレダ-SAFAT機関銃であることで、全てが機種に固定装備された。1943年9月にイタリアが連合軍に降伏した時にも本機は未だに組み立て中で、包囲を受けてドイツへと船で送られており、飛行はしていない。 Ca.331 C.N.の生産モデルとして多様な改修型が提案された。中にはドイツ製の1,475馬力(1099kW)ダイムラーベンツCB605を搭載するもの、イタリア製1,250馬力(931kW)イソッタ・フラスキーニ・ゼータ R.C.42を搭載する案、またフィアット製RA-1050 RC.58ティフォーネ(台風の意)を積む案があった。ティフォーネはDB605のイタリアによるコピー品であり、Ca.331 C.N.に644km/hの最高速度を与えることが期待された。Ca.331 C.N.の生産について、イタリアの関係当局ももっと意欲的な様々な計画を立て、機数は1942年5月に100機生産だったものが最後には総計1,000機を量産することとなった。しかし、全ての量産計画は1943年1月に破棄された。
※この「Ca.331 C.N. (Ca.331B)」の解説は、「カプロニ Ca.331」の解説の一部です。
「Ca.331 C.N. (Ca.331B)」を含む「カプロニ Ca.331」の記事については、「カプロニ Ca.331」の概要を参照ください。
- Ca.331 C.N.のページへのリンク