Benz & Cie. とパテント・モトールヴァーゲン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 06:47 UTC 版)
「カール・ベンツ」の記事における「Benz & Cie. とパテント・モトールヴァーゲン」の解説
ベンツは生涯、自転車を趣味としており、その関係でマンハイムで自転車修理店を営むマックス・ローゼ(Max Rose)とフリードリヒ・ヴィルヘルム・エスリンガー(Friedrich Wilhelm Eßlinger)と出会った。1883年、3人で産業機械を製作する会社 Benz & Cie.(Benz & Compagnie Rheinische Gasmotoren-Fabrik、ライン川ガスエンジン工場)を創業。間もなく25人の従業員を抱えるまでに成長し、据置型のガスエンジンなども生産しはじめた。 会社が成功して余裕が生まれ、ベンツにはかつて夢想した自力走行する車両を設計する機会が訪れた。自転車好きのベンツはその知識を応用して自動車を作った。三輪車であり、馬車のような木製の車輪ではなく自転車のようなワイヤを使った車輪を使用し、自分が設計した4サイクルのガソリンエンジンを2つの後輪の間に置き、最新式のコイル点火装置を装備し、ラジエターが無く水タンクへの自然対流式冷却方式の水冷だった。エンジンの動力は2つのローラーチェーンで後輪の軸に伝達される。1885年に完成したこの自動車をベンツ・パテント・モトールヴァーゲンと名付けた。 それは単に馬車の動力を変更しただけでなく、最初から自力走行するよう設計された世界初の自動車であり、そのためカール・ベンツは特許を取得でき、その発明者とされている。 1886年1月29日、この自動車の特許 "Fahrzeug mit Gasmotorenbetrieb"(ガスを燃料とする自動車)が DRP-37435 として発効した。これは世界で最初の「ガソリンを動力とする車両」に対する特許であり、この日ははじめて乗用車が誕生した記念日とも言われている。奇しくも同じ年、ダイムラーもガソリン動力車両を発明していた。1885年の試作車は操縦が難しく、公開デモンストレーション中に壁に衝突してしまった。公道で最初に成功した試験は1886年初夏に行われた。1886年いくつか改良を加えた2号機を製作し、1887年の3号機では車輪を木製にし、同年パリの博覧会で披露した。 1888年夏には自動車の販売を開始し、これが自動車産業の始まりとなった。モトールヴァーゲンの2番目の顧客は、数年前からベンツのエンジンをライセンス生産していたパリの自転車製造業者エミール・ロジェ(Émile Roger)だった。ロジェはベンツの自動車をパリの自社工場でライセンス生産し、当初主にパリで販売した。 モトールヴァーゲンの1888年の初期型モデルは変速ギアを持たず、急な坂を自力で上ることができなかった。妻ベルタはこれに乗って長距離旅行した際にこの問題に気付き、夫にギアの追加を提案して、実際にその修正がなされた。 ベンツを語る上で、妻ベルタが行った世界初の長距離自動車旅行は重要である。1888年8月5日、ベルタはおそらく夫に知らせずに2人の息子を伴い、マンハイムからプフォルツハイムに住む母の家まで106kmの自動車旅行に出た。燃料のガソリンは当時、薬局で少量ずつのベンジンがシミ抜き用として販売されているだけであり、燃料補給のため各地の薬局に寄る必要があった。時には自ら修理し、ブレーキにライニング(摩擦材)をつけることを考案した。いくつかの長い下り坂を経て、彼女は靴屋に寄り、革をブレーキブロックに打ち付けるよう頼んだ。夕方には目的地に到着し、ベルタは電報でカールに報告した。ベルタは実際に旅行することでモトールヴァーゲンの可能性を示した。今ではこの出来事を祝し、2年ごとにクラシックカーのラリーが開催されている。2008年、ベルタ・ベンツの世界初の長距離自動車旅行のルートがベルタ・ベンツ・メモリアルルートとしてドイツ観光街道に選定された。マンハイムからハイデルベルクを経由してプフォルツハイム(シュヴァルツヴァルト)まで行って戻る194kmのルートには、その標識が立っていて、誰でもそのルートを辿れるようになっている。 1889年、パリ万博にてベンツのモデル3が大々的に発表された。モトールヴァーゲンは1886年から1893年まで25台が生産された。
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