BWR-4型78.4万kWタイプとの決別とは? わかりやすく解説

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BWR-4型78.4万kWタイプとの決別

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 23:16 UTC 版)

福島第一原子力発電所6号機の建設」の記事における「BWR-4型78.4万kWタイプとの決別」の解説

このような状況下の1969年GE新たな原子力プラントしてジンマー型(後BWR-5と呼称)を発表した。 『東電社報』で発表されている年度毎電力施設計画追っていくと次のようになっており、1968年度までは784000kWのプラント都合3機の予定であったものが、19701971年度には既存着工済の分と「場所を明示しない記号地点」を合計し都合5機のプラント明記された。また、電力会社9社と電源開発集まって組織され中央電力協議会中電協)は政府電源開発調整審議会とは別に電源長期計画10ヶ年)を毎年作成していた。社報に掲載されているのは直近の一部計画のみであり、まとめると下記のようになる1972年度になると本発電所には後の6号機として110kWタイプ明示される電力施設計画東京電力分)1967年1968年1970年1971年1972年着工済(参考1号機:1967/9- 1号機:1967/9- 1号機:1967/9-2号機:1969/5- 1号機:1967/9-1971/22号機:1969/5-1973/53号機:1970/10-1974/125号機:1971/12-1975/12 1号機:1967/9-1971/32号機:1969/5-1973/53号機:1970/10-1974/125号機:1971/12-1976/84号機:1972/9-1975/12 東電社報掲載2号機:1968-3号機:1970/1- 5号機:1971/10-1975/12- 4号機:1972/1-1976/3N1:1972/3-1976/6、784000kWN2:1973/1-1977/12、110kW 6号機:1971/12-1976/10、110kW 中電長計にのみ掲載2号機:1967-1973、784000kWL:1970-1975、784000kWM:1972-1976、784000kWN:1973-1977以降運開、110kWO:1974-1977以降運開、110kWP:1975-1977以降運開、110kWQ:1976-1977以降運開、100万kW M:1971/11-、784000kWM:1973/7-、110kWO:1974/6-、110kWP:1975/6-、100万kWQ:1976/5-、110kWR:1977/6-、110kW N1:1972/1-、784000kWN2:1972/3-、784000kWN3:1973/1-、110kWN4:1974/8-、110kWN5:1974/11-、110kWN6:1975/8-、110kWN7:1976/1-、110kWN8:1976/8-、110kWN9:1976/12-、110kWN10:1977/8-、150kWN11:1977/11-、150kWN12:1978/7-、150kWN13:1978/8-、150kWN14:1979/7-、150kWN15:1979/8-、150kW N3:1974/8-1979/7、110kWN4:1974/11-1979/6、110kWN5:1975/8-1980/7、110kWN6:1976/1-1980/8、110kW(他) 福島第二:1972/10-1978/1、110kWN1:1973/2-1977/12、110kWN2:1975/4-1979/8、110kWN3:1975/9-1980/1、110kWN4:1975/10-1980/5、110kWN5:1975/12-1980/10、110kWN6:1976/9-、110kWN7:1977/3-、110kWN8:1977/7-、150kWN9:1977/7-、150kWN10:1978/6-、150kWN11:1978/6-、150kWN12:1979/7-、150kWN13:1979/7-、150kWN14:1979/7-、150kWN15:1980/7-、150kWN16:1980/7-、150kWN17:1980/8-、150kW 問題はいつの時点で炉型を乗り換えるかである。原子力技術研究開発進行する一方で当時東京電力需給逼迫状況置かれていた。田中直治郎は『電気情報1971年2月での対談で「電力需要増の傾向昭和二十六年九電力会社発足以来毎年一二一三パーセント程度であって何時も予想よりも実際のほうが多かったのですが、特にこの二年ほどはその傾向甚だしく、ついに一四一五パーセント増加になったのです。」と述べ1970年夏期9月初頭を含む)には供給余力逼迫状態に陥ったことを説明している。そして既定電力開発計画については「昭和五十年ころまでの需給については原子力開発含めて何とかやれる」としていたが、本発電所プラントは既に4号機までの5機が計画繰り入れ済であり、5、4号機については1975年以降運転開始予定していた。そして田中は「五号機までは七八四千キロワットBWR型機の国産でいく、そういう考えでいます」と場所を明示しないN1などには触れず続けて福島七八四千キロワットにつぐものは一一キロワット級ですが、これはまだアメリカで建設中運転されてはいない。しかし当社四十六年には開発ハラ決めでしょう四十六年か、遅くとも七年には着工し中略)これにBWR型を採用するか、あるいはPWR型を採用するのか、今のところ全く白紙の状態です」としていた。

※この「BWR-4型78.4万kWタイプとの決別」の解説は、「福島第一原子力発電所6号機の建設」の解説の一部です。
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