AA型についてのまとめ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 08:38 UTC 版)
「トヨダ・AA型乗用車」の記事における「AA型についてのまとめ」の解説
AA型は1936年当時では相当な意欲作であったが、当時のトヨタの技術水準はまだ十分なものではなく、品質や価格競争力においては当時の日本製アメリカ車(ノックダウン生産)やヨーロッパ車に及ばなかったと言われる。シボレーのコピーのエンジンを、シボレーとフォードの折衷的シャーシに搭載、クライスラー風のボディを与えたというその成り立ちは、アメリカ製量産車の体裁を模倣せねばならなかった、当時の技術的限界を如実に現した産物とも言えた。 当時アメリカ車やヨーロッパ車が大きなシェアを占めていた日本や満州国市場においては販路も限られ、トヨタ関係企業や官公庁、帝国陸軍などが主たるユーザーであった。輸出については、トヨタにとって初めての乗用車ということもあり、まだ本格的な海外における販路も確立されておらず、満州国など日本の友好国や占領地などの勢力圏で少数が使用されたにとどまる。 元々製造台数が少なかったこともあり、戦争による被災や戦中戦後の酷使の結果、AA・AB(ABR)・AC型の各車は1950年代までにほぼすべて喪失されたものと見られている。豊田喜一郎をはじめとする1950年代前半のトヨタ関係者を撮影した写真に、AA型もしくはAC型と思われる大型乗用車が背景として写り混んでいたり、昭和30年代前期の名古屋駅前で撮影された写真に駐車中のAC型が記録されていた事例から、昭和30年代まではトヨタ自動車所有である程度の残存車があったものと思われるが、以後の消息はつまびらかでない。 AB型(ABR型)については、トヨタ博物館と日本自動車博物館所蔵の2台の現存が確認されている。2000年代になり、第二次世界大戦末期の1945年8月にに満州国に侵攻してきたソビエト連邦軍により接収され、大戦終結後にウラジオストックからシベリアの農夫の手に渡ったAA型と思われる自動車が現存し、オランダのローマン博物館(英語版)が入手している事がわかった。左ハンドル化やワイパー、ラジエターグリル、トランク等、改造個所は多くみられるが、リブやフェンダー、ドア、窓ガラスの特徴はAA型と一致しており、後にこの自動車はトヨタ博物館の調査によりAA型であることが確認された。
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