65歳での急死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:53 UTC 版)
2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた(報道では発症部位など詳細については発表されていない)。65歳没。 突然の訃報は音楽関係者に大きな衝撃を与え、佐野元春、山下達郎、大貫妙子、吉田美奈子、桑野信義らが追悼のコメントを発表した。また長年の盟友だった松本隆は自身のTwitterにて「北へ還る十二月の旅人よ」と大瀧の曲「さらばシベリア鉄道」にかけた追悼の辞を捧げている。 2014年1月4日、都内で葬儀が営まれ、約100人の関係者が参列した。式場には未発表である自身の声による「夢で逢えたら」が流され、柩ははっぴいえんどメンバーだった松本隆、鈴木茂、細野晴臣の3人らによって抱えられた。また、多くのスタッフ・関係者からの要望により、「A LONG VACATION」の発売日で、最期のアルバム「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売日でもあった3月21日に「お別れの会」が執り行われ、一般参列者向けの献花台も設けられた。 3月21日の「EACH TIME」発売を前に、3月19日からは過去音源のiTunes Storeにおける一斉配信がスタートし、その中には廃盤になり入手困難となっていたシリア・ポールによる「夢で逢えたら」のカバーや単独でCD販売されていなかった「DEBUT」、30周年リイシューから除外された「LET'S ONDO AGAIN」といった貴重な音源も含まれている。ただし周年CD化記念時のボーナス・トラック類は除外され、オリジナル収録曲のみの内容となっている。 お別れ会の場で、妻から最期の言葉が「ママありがとう」だったことが明かされ、直後に意識を失い、チアノーゼも起こしていたという。救急隊の到着まで心臓マッサージを続けた(妻は看護師だった)が、意識を取り戻すことがなくそのまま死亡したと臨終の状況が明かされている。続けて「当日会話をしたのは20分ぐらいだったと思います。今では会話のすべてが遺言となってしまいました。本来ならば、12月末は大好きな落語を聴いて、スタジオの整理、片付けをしている姿があったのですが、昨年はありませんでした。亡くなる最後に『ありがとう』と言ってくれたのは、これまで主人を支えて見守ってくださった方々、またファンの方々に私から一言お礼を述べてほしいということだったと思います。この場をお借りしまして、本当にありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
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