2004年の情報と再度の「遺骨」
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「松木薫」の記事における「2004年の情報と再度の「遺骨」」の解説
2003年から2004年にかけてはよど号グループの妻や子どもたちの帰国がつづいたが、自分たちの意思で北朝鮮に渡った人たちの係累が戻ってきて、自らの意思に反して連れて行かれた人たちが帰って来られないことに家族はやりきれなさと理不尽さを感じていた。2004年3月5日、欧州ルートで拉致された松木薫、石岡亨、有本恵子の家族は久しぶりに神戸市で一堂に会し、結束を誓い合った。こうしたなか、薫の母が2004年6月に一時、危篤となった。そのとき、薫の姉は母に向かい大声で「いままでこんなに苦労して薫を待ったのに、病気に負けたら薫が帰ってこない、薫が帰ってきてかあちゃんがいないと知ったら泣くよ」と叫ぶように話すと母は少しずつ体調を回復させたのだった。 2004年11月9日から14日まで続いた第3回日朝実務者協議で示された個別被害者の関連情報は2年前とほぼ同じであった。11月15日、松木薫の「遺品」として薫が北朝鮮で日本語を教える時に教材として使用していたとされる日本のテレビドラマ「出航」のシナリオ1冊が北朝鮮当局より提供された。また、政府調査団は「松木薫の可能性もある」と北朝鮮側が説明する遺骨を持ち帰ったが、遺骨を持ち帰ったことが公表されたのは17日のことであった。15日にはそれぞれの家族への個別説明がなされたが、その際には松木の家族は「遺骨」のことは何も知らされていなかった。家族は、「2度火葬して鑑定ができない骨」を持ってきたうえに「15日の家族会への報告で説明しなかった」政府の対応を批判した。12月13日、松木の可能性もあるとされた「遺骨」はDNA鑑定の結果、別人4名分の骨であることが判明した。なお、この協議で北朝鮮側は、2002年に日本政府調査団に提供された8人の死亡確認書と横田めぐみの病院死亡台帳が「本来存在しないものを捏造した」ものであることを認めている。 2006年2月、松木薫と石岡亨を拉致した件で、その実行犯である森順子と若林佐喜子に告白状が出され、逮捕監禁容疑により警視庁公安部によって受理された。2007年6月、森と若林は、欧州における日本人男性拉致事件の実行犯として警視庁公安部より結婚目的誘拐の容疑で逮捕状が出され、国際手配がなされた。松木と石岡が失踪してから27年目のことであった。 日本政府は、北朝鮮に対し、両名の所在の確認と身柄の引き渡しを求めている。
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