2004年の情報と再度の「遺骨」とは? わかりやすく解説

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2004年の情報と再度の「遺骨」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:47 UTC 版)

松木薫」の記事における「2004年の情報と再度の「遺骨」」の解説

2003年から2004年にかけてはよど号グループの妻や子どもたち帰国つづいたが、自分たちの意思北朝鮮渡った人たちの係累戻ってきて、自らの意思反して連れて行かれた人たちが帰って来られないことに家族やりきれなさ理不尽さを感じていた。2004年3月5日欧州ルート拉致され松木薫石岡亨有本恵子家族久しぶり神戸市一堂会し結束誓い合ったこうしたなか、薫の母2004年6月一時危篤となったそのとき、薫の姉は母に向かい大声で「いままでこんなに苦労して薫を待ったのに、病気負けたら薫が帰ってこない、薫が帰ってきてかあちゃんがいないと知った泣くよ」と叫ぶように話すと母は少しずつ体調回復させたのだった2004年11月9日から14日まで続いた第3回日朝実務者協議示され個別被害者関連情報2年前とほぼ同じであった11月15日松木薫の「遺品」として薫が北朝鮮日本語教え時に教材として使用していたとされる日本のテレビドラマ出航」のシナリオ1冊が北朝鮮当局より提供された。また、政府調査団は「松木薫可能性もある」と北朝鮮側が説明する遺骨持ち帰ったが、遺骨持ち帰ったことが公表されたのは17日のことであった15日にはそれぞれの家族へ個別説明なされたが、その際には松木家族は「遺骨」のことは何も知らされていなかった。家族は、「2度火葬し鑑定できない骨」を持ってきたうえに「15日家族会への報告説明しなかった」政府の対応批判した12月13日松木可能性もあるとされた「遺骨」はDNA鑑定結果別人4名分の骨であることが判明した。なお、この協議北朝鮮側は、2002年日本政府調査団提供された8人の死亡確認書と横田めぐみ病院死亡台帳が「本来存在しないもの捏造した」ものであることを認めている。 2006年2月松木薫石岡亨拉致した件で、その実行犯である森順子若林佐喜子告白状が出され逮捕監禁容疑により警視庁公安部によって受理された。2007年6月若林は、欧州における日本人男性拉致事件実行犯として警視庁公安部より結婚目的誘拐容疑逮捕状出され国際手配なされた松木石岡失踪してから27年目のことであった日本政府は、北朝鮮対し両名所在確認身柄引き渡し求めている。

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