2002年の試験開門
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「諫早湾干拓事業」の記事における「2002年の試験開門」の解説
これらの反対運動を受けて、2001年に武部勤農林水産大臣(当時)は干拓事業の抜本的な見直しを表明し、2002年4月から28日間の短期間に堤防を開門し、その前後の合計8か月間にわたって環境調査が行われた。開門は、調整池が海水面から-1mから-1.2mまでの水位を保つ形で水門が制御され海水が調整池に導かれた。これにより調整池の大部分は塩分濃度は上昇して海水に近い塩分濃度になった。しかし、開門によって調整池の淡水魚が死滅しただけで、有明海の環境の改善は認められなかった。九州農政局では、開門試験の結果とコンピュータを使用した海水モデルでの検討をまとめ、2003年(平成15年)11月に調査報告書を作成した。内容は以下の通りであった。 開門によって調節池の堤防付近に躍層形成(水深によって塩分濃度が異なる層が形成されること)が起こり、堤防近くの底層には酸素飽和度が40%以下に低下した貪酸素層が一次的形成された。 調節池の富栄養化した水は海水によって希釈され、CODや栄養塩類濃度は低下した。しかし、環境への負荷収支はむしろ増大する傾向がみられた。調節池での植物プランクトンの活動は活発化し、光合成などによる有機化合物の発生量は増加した。 諫早湾の表層海面において、塩分濃度が2/3程度にまで低下する現象が開門期間中に2度観察された。 堤防からの排水による海面の汚濁は、諫早湾の奥に限局し、諫早湾の中央部分にまでは到達しなかった。 調節池の植物プランクトンは、海水性のものが増えたが、開門終了後には徐々に元の汽水・淡水性の植物プランクトン優位に戻った。諫早湾の植物プランクトンには大きな変化はなかった 「海水の流動性」の評価では、潮流の変化は諫早湾内に限局しており、有明海全体への海水の流動性の影響は認められなかった。 「水質」の評価では、諫早湾外の有明海では、水門の開閉に関わらず水質の変化は認められなかった。調節池の水質浄化機能(窒素化合物換算)は、有明海全体の0.5%にすぎず、調節池が淡水化ないし海水化されていようが有明海全体への影響はないと判断され、堤防の閉め切りによる有明海全体の水質の影響はないとされた。諫早湾においても、堤防近くでCODが上昇したが、湾中央や湾口ではCODに変化はなかった。 「貪酸素減少」についての検討でも、干拓地からの排水は、有明海全体の広範囲の躍層の原因になっていないと判断され、堤防の閉め切りは佐賀県沖で発生している貪酸素現象の要因にはなっていないとされた。 海底の「底質」の評価では、コンピュータ解析で諫早湾口の一部の領域で、底質が細粒化する傾向がみられたが、実際の環境モニタリング調査では、現地海域で底質が細粒化する一定の傾向は認められなかった。 これに対して、短期の開門調査では「有明海の海洋環境の影響は検証できない」という意見もあった。2006年に農水省は「今後は開門調査は行わない」との方針を表明した。当時の農林水産大臣は、中・長期の調査を行わない理由として、開門によって海底のヘドロによって漁業被害が発生することが懸念され、その対策に600億円以上の多額の費用が必要とされ、代替となる他の方法で開門の影響を検討することになったと説明している。
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