2号機における事故の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:52 UTC 版)
「福島第一原子力発電所事故」の記事における「2号機における事故の進展」の解説
2号機では、全電源喪失2分前の11日15時39分に隔離時冷却系(RCIC)を手動で起動していて、その後3日間も持ちこたえた。RCICの起動には直流電源が必要で、もし電源喪失前に起動していなければ、すぐに冷却機能を失い炉心損傷へと急転していた可能性が高い。 RCICによる注水は14日13時25分に停止。19時過ぎから格納容器ドライウェル圧力が上昇し、21時頃には圧力容器圧力とドライウェル圧力がほぼ同じになったことから、圧力容器が破損したものと推定される。水素も発生したと考えられるが、ブローアウトパネル脱落により建屋に開いた穴から放出されたため水素爆発には至らなかった。東電はウェットベントとドライベントを試みたが全て失敗し、このままでは圧力容器の破壊というこれまでよりも桁違いに深刻な事態に陥ることを恐れて現場は緊迫した空気に包まれた。東電は作業員の安全のため政府に第一原発からの撤退を申し入れたが、政府側はこれを「全面撤退」の意味で受け取り、拒否した(詳細は「#東京電力の全面撤退をめぐる報道」を参照)。格納容器圧力は600 - 700kPa(設計強度の約1.5倍)の高圧を7時間以上にわたって維持した。 15日6時14分頃、大きな衝撃音が発生し、同時に圧力抑制室の圧力計が0を示した。圧力抑制室が破損した可能性があると判断した現場は、最小限の要員を残して第一原発から退避した。しかし、実際にはこれは圧力計の故障と推定されている。この衝撃音は、同時間帯に起きた4号機水素爆発のものと考えられる。東電による地震計の解析によれば、衝撃音発生の正確な時刻は6時12分、場所は4号機からで、同時間帯に発生した衝撃はこの1回だけだった。しかしながら、このとき2号機圧力抑制室が破損したとの見方もある。 格納容器内圧力は15日7時25分にはまだ730kPaという高い値だったが、次に監視員が戻ってきて11時25分に確認した際には155kPaまで低下していたため、この間に格納容器に破損が生じたと考えられる。事故で放出された放射性物質は、15日に2号機から放出されたものが最も多かったと推定されている。1・3号機ではウェットベントに成功したが、2号機ではベントに失敗し格納容器から直接放射性物質が放出されたためとみられる。しかし、吉田所長らが恐れていた原子炉の決定的な破壊にまでは至らず、最悪の事態は回避された(詳細は「#最悪のシナリオ」を参照)。この日放出された大量の放射性物質は、初めは南向きの風に乗って関東地方へ拡散したが、北西への風に変わった夕方に降り出した雨で土壌に降下し、原発から北西方向へ延びる帯状の高濃度汚染域を作り出した。
※この「2号機における事故の進展」の解説は、「福島第一原子力発電所事故」の解説の一部です。
「2号機における事故の進展」を含む「福島第一原子力発電所事故」の記事については、「福島第一原子力発電所事故」の概要を参照ください。
- 2号機における事故の進展のページへのリンク