1998年〜2002年
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「アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト」の記事における「1998年〜2002年」の解説
1998年 第11回大会 「生命上陸」 ルールの穴を突いた大型展開、ばらまきマシンの登場により、全国大会の終了時刻が大幅に遅れる。 1999年 第12回大会 「Jump to the Future」 最初に行われた近畿地区大会および東海北陸地区大会でルールの違反による減点が多発し、平均得点がマイナスになる。さらには、まがりなりにもマシンが動いたチームが減点され、マシントラブルで全く動けないチームに負けるなど理不尽な結果が続出。この後に行われた他の地区大会では大幅にルールが変更された。 両チーム同点の場合は消費電力が低いチームの勝ちとなるルールを採用(この年の後援に省エネルギーセンターが加わっていることより)。近畿地区大会では得点を挙げたマシンが一つもなく、消費電力ルールで勝敗が決まるケースが多く見られた。このため、比較的消費電力が少なく、減点の無かったマシンが優勝した。同マシンは全国大会で初戦敗退も得点を挙げている。 2000年 第13回大会 「ミレニアムメッセージ」 NHK BSデジタルハイビジョンにて大会初の生放送。 対戦している両チームが互いに干渉できないことから、相手はいるものの事実上タイムアタック競技となる。 大会前にマシンの全容をインターネット上で公開するチームが現れる(長岡高専「長岡猿軍団」など)。 2001年 第14回大会 「Happy Birthday 39」 この年を最後にNECがスポンサー撤退。非常に運営費が少ない中での大会開催となる。 また今大会以降、手動ロボットの操作には赤外線・可視光・音波による無線操縦で行うようにルールが変更された(電波は使用不可)。 全国大会優勝校による妨害重視の戦い方には賛否両論あった。 2002年 第15回大会 「プロジェクトBOX」 NECに代わり本田技研工業、マブチモーター、ソリッドワークスがスポンサーに加わる。 大会会場や大会中のデモストレーションでASIMOのパフォーマンスが行われるようになる。 本年の全国大会で活躍したマシンが映画「ロボコン」に出演した。大会の最後に古厩智之と長澤まさみが登場し、映画制作の発表をした。 この回から総合テレビでの全国大会の放送がスタジオ収録になり、国技館での実際の対戦の映像が大幅に減った。
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