1998年〜1999年 ワークスエンジン不在の苦戦
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1998年はスポンサーブランドがロスマンズからウィンフィールドに変更され、FW20は同チームでは珍しい赤いマシンカラーとなった。1997年9月には2000年からBMWのエンジン供給契約が締結されたことが正式発表されていた。その間の空白期間は元々カスタマー仕様のルノーエンジンの供給を請け負っていたメカクロームで参戦することとなり、ルノーエンジンという点では変わりなかったが、その内容は前年のルノーRS9(1997年型)を改修したカスタマー供給であった。そのうえ、ニューウェイが去ったこともあり、マシン開発におけるレギュレーション変更の対応に後手に回り、シャシーの戦闘力不足に悩んだ。最終的にはチームとしては1988年以来の未勝利に終わり、コンストラクターズランキングこそ3位を確保したものの、移籍したヒルが第13戦ベルギーGPで初勝利をプレゼントしたジョーダン・グランプリに肉薄されてしまった。シーズン終了後にはヴィルヌーヴとフレンツェンは揃ってチームを離脱した。 1999年はエンジン名をスーパーテック(供給はメカクローム)とし、5年ぶりのF1復帰となるCARTチャンピオンアレッサンドロ・ザナルディとフレンツェンと入れ替わりでジョーダンから加入したラルフ・シューマッハのラインナップとなったが、タイトル争いどころかレースでの優勝争いからも遠ざかった。鳴り物入りで加入したザナルディは精彩を欠き、第13戦イタリアGPで予選4位を獲得したこと以外は振るわず、結果的に1ポイントも獲得できなかった。シューマッハも第14戦ヨーロッパGPで一時首位を走行するなど健闘は見せたものの、優勝争いには絡めなかった。結局この年はジョーダンとスチュワートに抜かれコンストラクターズ5位に終わり、1988年以来11年ぶりにトップ4陥落の屈辱を味わった。
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