1990年代での発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:47 UTC 版)
1990年代にコスプレの人口は増大し、コミケのコスプレイヤーは1991年には約200人、1994年に約6,000人、1997年には約8,000人を数えた。 この背景としていくつかの事象が重なる。まず、直接的な背景としてはアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の流行等でサブカルチャーに注目が集まるようになり、コスプレという用語・行為も普及した事が挙げられる。間接的な背景としては1990年代初頭のヴィジュアル系バンドブームであり、特に火付け役となったX JAPANを筆頭にファンによる凝ったコスプレが披露される傾向を見せ、この傾向は2007年の復活後にも少数ながら見る事が出来、他のヴィジュアル系バンドのコスプレにおいても同様なファンが続いた。また、日本におけるハロウィンの定着もこの時期と重なる。1997年より東京ディズニーランドにおけるハロウィンイベントや、川崎市におけるカワサキハロウィン等のイベントが先駆けとなり、仮装する文化が定着する契機を作ることとなる。 同時期より商業資本もコスプレに着目するようになり、従来コスプレ衣装はコスプレイヤーによる自家製によるものしかなかったが、それらを既製服として製作・販売する業者「コスチュームパラダイス」(現・コスパ)が現れた。これは製作者の技術に出来が左右される自家製の物に対して、一定レベル以上の品質を保っていたために人気を集め、ブランドを確立している。コスパの成功以後、こうしたコスプレ衣装製作業社が増えた事で市場は拡大していった。 イベントについても、それまではコミックマーケットを始めとする同人誌即売会や、ワンダーフェスティバル、日本SF大会等において付随的に行われていた状態から、コスプレ単独のイベントも開催されるようになった。形式としては、コスプレをしてダンスミュージックやアニメソングに合わせて踊る「コスプレダンスパーティーや、コスプレイヤー同士が互いに交流や撮影を行ったり、アマチュアカメラマン(カメラ小僧)に撮影の場を提供する撮影会などがある。 イベント会場は、東京ファッションタウン(TFTホール)や大田区産業プラザ(PiO)といった各種展示会場等が使われるが、ダンスパーティー形式ではディスコやクラブ等が使われる事もある。また、後楽園ゆうえんち(現東京ドームシティアトラクションズ)がハロウィンの仮装イベントとして始めたコスプレイベントが切っ掛けとなって、各種遊園地やテーマパークでもイベントが行われるようになった。これとは別に、「東京ゲームショウ」や「キャラフェス」、「DreamParty」等といったコスプレが可能な展示会等の各種イベントも開催されるようになっている。「コスチュームカフェ」と呼ばれる制服専門の同人誌即売会・コスプレイベントや、特定のジャンルのコスプレに限定したイベントも開催される。 同人誌即売会やコスプレイベント情報を集めた情報誌が同人誌として発売され、インターネットの普及以後は情報サイトも登場した。コスプレ専門のムック・雑誌もこの時期より発行されるようになる。
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