1990年代のATF
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 10:00 UTC 版)
「アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局」の記事における「1990年代のATF」の解説
1990年代初めにATFとFBIの人質救出チーム(HRT)が関わった2つの事件が批判を集めている。「ルビーリッジの悲劇」 (Ruby Ridge) は、ATFが1990年6月、情報提供者になることを拒んだランディー・ウィーバー(Randy Weaver)に嫌疑を掛けたことから始まる。ウィーバーは1991年2月20日、裁判所に出廷しなかった(ただし、これは保護監察官リッキンス(Richins)が出頭日を3月20日と誤って伝えたせいである)ため、連邦保安官局(USMS)が法廷に連行しようとした。ウィーバーは家族とともに山の頂上にある小屋にこもった。1992年8月21日、USMSの監視チームと銃撃戦になり、保安官補ビル・ディーガン(Bill Degan)と、14歳だったサミュエル・ウィーバー(Samuel Weaver)、ペットの犬が死んだ。連邦政府の法執行官が殉職したことからFBIが現場を引き継ぎ、HRTが配備されたが、偵察・監視行動の錯誤が重なった結果、狙撃手のロン・ホリウチ (Lon Horiuchi) が発砲してウィーバーと友人が負傷し、妻のヴィッキ(Vicki)が死んだ。司法省のその後の調査と議会の公聴会を通じ、ATFやUSMS、連邦検事局、FBI・HRTの行動に対する疑問や、USMSやFBI本部での情報の誤った取り扱いが提起された。ルビーリッジ事件は、武装権の法的権利について活動する人々からの非難にさらされた。 2つ目の事件は、1993年2月28日、テキサス州ウェーコ近くの宗教セクト、ブランチ・ダビディアンをめぐる「ウェーコの悲劇」である。ATFの捜査官がマスメディアを引きつれ、カーメル山と呼ばれたセクトの建物に連邦政府の捜索令状に基づく家宅捜索に入ろうとした。セクトは捜索が近いことを知らされており、奇襲効果は失われていたのにも関わらず、ATFの指揮官は捜索を強行。結果、銃撃戦が起こり、6人の信者と4人の捜査官が死亡した。FBIのHRTが現場を引き継ぎ、51日に及ぶにらみ合いが続いたが、4月19日に火災が施設から起こった。事件後の捜査により、20人の子供を含む76人の遺体を施設内から発見。大陪審は76人が自殺か、施設内の人物により死亡したとしたが、火災の原因として当初、装甲車がランタンやプロパンガスのボンベを破裂させた説と並び、HRTの放った可燃性の催涙ガスが原因とする説があり、捜査方法に批判が集まり、法執行機関の過剰な権力行使を告発する声があった。催涙ガスの発射から火災まで3時間以上かかっていることや、盗聴された教団の会話などから、現在は戦車を迎え撃つための放火説が有力である。 この事件については、その他にも批判がある。(ブランチ・ダビディアン#逮捕にあたっての問題点の項目参照) ティモシー・マクベイはこれらの事件を、1995年4月19日に起こしたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の動機として挙げた。
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