1980年代後半からのブーム
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「日本お笑い史」の記事における「1980年代後半からのブーム」の解説
「お笑い第三世代」を参照 1980年中盤から1990年初頭にかけて、テレビの深夜番組を発端としたブーム。演芸ブームを「お笑い第一世代」、漫才ブームを「お笑い第二世代」と数えて「お笑い第三世代」と呼ばれた。 1983年に放送開始した『オールナイトフジ』により、いわゆる「女子大生ブーム」が起こり、「素人」がバラエティ番組に多く出演するようになった。『オールナイトフジ』からの派生番組である『夕やけニャンニャン』が1985年に放送開始し、同番組でレギュラー出演者だったとんねるずが大ブレイク。『ねるとん紅鯨団』『とんねるずのみなさんのおかげです』などの大ヒットでとんねるずの人気は絶頂となった。とんねるずは並行して歌手活動も行い、『情けねえ』『ガラガラヘビがやってくる』『一番偉い人へ』などが大ヒット。1991年に『情けねえ』で第42回NHK紅白歌合戦に初出場。その後も、『とんねるずのみなさんのおかげでした』で結成した音楽ユニット「野猿」が番組人気と共に大ヒットし、1999年、2000年と紅白歌合戦に出場している。 1982年、吉本興業は新人発掘を目的として、大阪に新人タレント養成所「吉本総合芸能学院」(通称:NSC)を開校。NSC1期生にはダウンタウン、ハイヒール、トミーズなどがいる。当時は、漫才ブームが衰退し、劇場は閑古鳥が鳴く状態で劇場に若者は来なくなっていた。ダウンタウンの松本人志は当時の状況を「焼野原」だったと語っている。その後、ダウンタウン、ハイヒール、トミーズらは大阪で人気を博し、特にダウンタウンは『4時ですよーだ』でアイドル的な人気となり、1988年に『夢で逢えたら』で東京進出。ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子と共にコントを演じ、ミュージシャンを起用したオープニングや音楽コーナーなど、都会的でおしゃれな雰囲気も相まって深夜番組でありながら視聴率20%を超える大ヒットとなった。 その後、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンは冠番組を多く持ち、長年にわたり、高視聴率を記録。とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンの3組はビートたけしや明石家さんまらが押し上げたお笑いの地位をさらに向上させ、後進のお笑い芸人に多大な影響を与えた。
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