1967年の戦績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 08:44 UTC 版)
1967年のデイトナ24時間レースでは、フォードGTマークIIBが駆動系のトラブル(ギアボックスのメインシャフトが熱処理不良で破損)で次々と脱落していく中、P4(0846)が1位、P4(0856)が2位、412P(0844)が3位に入った。24時間目のゴールラインを通過する際、1-3位のフェラーリが横一列に並びフォードの地元アメリカのサーキットで1・2・3フィニッシュを決め、前年のルマン24時間レースでの雪辱を果たした形になった。続くセブリング12時間レースではルマンのテストデイに備えるためという理由でフェラーリチームは不参加。そのためマークIVをデビューさせたフォードは、ライバル不在のまま勝利をおさめた。次のモンツァ1000kmではP4が優勝、続くスパ1000kmではミラージュ・フォードが優勝した。続くタルガ・フローリオでは1〜3位をポルシェが占めた。4月のル・マンのテストデイ以降P4とフォードGTマークIVは顔を合わせておらず、ル・マンで雌雄を決することになった。 ル・マン24時間レースはかたやアメリカの大メーカー、かたやイタリアの小工房の全面対決となった。陣容はフォードがマークIVを4台、対するフェラーリもP4を4台投入という真っ向勝負となった。予選はフェラーリ勢が無理を避けた(と言われている)ため2位のシャパラル以外1〜6位をフォード勢が占めた。トップのブルース・マクラーレン/マーク・ダナヒュー組のマークIVと、フェラーリ勢トップのルドビコ・スカルフォッティ/マイク・パークス組のP4とでは予選タイムで4秒以上の差があった。予選時、マークIVの何台かがフロントガラスが破損するトラブルが発生している。またP4も“0860”がクラッシュし参戦が危ぶまれたが、本戦までに修復された。 本戦の序盤はマークIVが上位を占めフォード優位で進んだ。開始9時間後、クリス・エイモンのドライブするP4スパイダー“0846”がトラブルでピットへ戻る途中火災が発生しリタイヤした。レースが後半にさしかかったころ、マークIVとマークIIBがクラッシュ、リタイヤした。この時点で1位はA・J・フォイト/ダン・ガーニー組のマークIV、2位がスカルフォッティ/パークス組のP4、3位がシャパラル、4位がメアレーゼ/“ブーリーズ”組のP4となっていた。その後シャパラルがリタイアし、1位マークIV、2〜3位がP4というかたちで終盤を迎えるが、結局P4はマークIVをとらえることができずそのままゴール、フェラーリは優勝を逃してしまう結果となった。 実際のラップタイムでは、P4がテストデイで出したベストタイムより、マークIVのファーステストラップは3秒近く速かったし、最高速度にいたっては、マークIVはP4より30km/hちかく速かったと記録されている。フォードチームは、この年のル・マンに勝つことだけを目標にしており、これ以後の耐久レースに顔を出すことはなかった。 その後、ブランズ・ハッチのBOAC500に出場、クリス・エイモン/ジャッキー・スチュワート組のP4が2位に入賞してポルシェを下し、フェラーリはワールドチャンピオンシップのタイトルを獲得した。なお、1967年一杯で3L以上のスポーツ・プロトタイプが禁止となり、P4やフォードGT、シャパラルなど大排気量スポーツカーはCan-Amへその活動の場を移すこととなる。
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