1967年タイガースデビュー、人気爆発とは? わかりやすく解説

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1967年タイガースデビュー、人気爆発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:16 UTC 版)

ザ・タイガース」の記事における「1967年タイガースデビュー、人気爆発」の解説

1967年2月5日発売シングル僕のマリー」(録音時点でのタイトルは「マリー想い出」)でデビューする前年12月録音の際、曲を渡されメンバーそれまで演奏曲との違和失望感じたという。渡辺プロ側がタイガースプロモーションに際してイメージしたのはモンキーズであったが、セールス伸び悩む。 だが、3月頃から人気爆発し5月発売のセカンド・シングル「シーサイド・バウンド」は40万枚超えるヒットとなった。「シャボン玉ホリデー」などのテレビ出演でそれが加速し従来よりも低年齢中高生)にファン層広がった一方ジャズ喫茶では、内田組んだ内田裕也タイガース」として前年12月から新宿ACB出演しファニーズ時代と同じテイスト楽曲演奏した1967年1月15日第31回日劇ウェスタンカーニバルで、内田尾藤イサオバック引き受け条件で、内田用意した衣装着て1曲だけ演奏する。これを契機ジャズ喫茶でのファン増加していく。 当初テレビ渡辺プロジャズ喫茶内田マネジメント分かれていたが、ジャズ喫茶においても「ザ・タイガース」として扱われ内田プロデュースに近い立場となった。後に、内田渡辺プロ対立第32回日劇ウェスタンカーニバル前日5月4日内田は「キャンティ経営者川添夫妻援助渡仏した。結果として渡辺プロは自らの路線合わない内田ザ・タイガースから切り離したとなった1967年後半には活動中心ジャズ喫茶からコンサート変わりテレビなど芸能活動増加していった。烏山合宿所には女性追っかけ数多く訪れメンバー日常生活にも支障を来すほどになっていた。 1968年には、1月発売の4シングル君だけに愛を」のヒット続き3月発売の5シングル銀河ロマンス/花の首飾り」(「花の首飾り」は加の初のメインボーカル曲)がオリコンシングル・チャートの1位を7週間連続獲得公称130万枚オリコン調べで67.6万枚売り上げた3月10日に「花の首飾り」の新曲発表会日本武道館開催する武道館コンサートをする初の日本人音楽バンドとなる。ザ・タイガース初の主演映画ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』は4月公開された。 7月発売の6シングルシー・シー・シー」も6週1位となり、オリコン調べで50.8万枚売り上げた8月12日日本初のスタジアム・ライブとなる「ザ・タイガース・ショー〜真夏の夜祭典」を後楽園球場開催11月25日には、トータル・コンセプト・アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』を発売している。 こうして、ザ・タイガースは、渡辺プロによるアイドル的な売り出しによって多様な人気集めグループサウンズ頂点極めることになる。

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