1967年の公演(大阪国際フェスティバル)
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「バイロイト音楽祭」の記事における「1967年の公演(大阪国際フェスティバル)」の解説
1度目は1967年4月にフェスティバルホールで開催された第10回大阪国際フェスティバルでの「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」である。オーケストラと合唱以外はすべてバイロイトのスタッフで占められていた。オーケストラはNHK交響楽団が務め、合唱は一般公募で集められたテノール38名、バス32名からの選抜メンバーと大阪音楽大学の教員および学生で編成された「大阪国際フェスティバル合唱団」が務めた。 合唱団メンバー募集にあたっては、身長がステージ出演者は165cm以上と制限があり、バックステージ出演者は特に制限がなく、日本全国から150名余りが応募して特に31名がステージ出演者として選抜され、舞台に立った。バックステージ出演者に関しては専門技術を要するということで、大阪音楽大学の声楽専攻学生が務めることとなった。合唱団はクラウス・プリングスハイムらの指導を受けた。大阪音楽大学のこの公演に対する意気込みようは並大抵のものではなく、教職員のために全公演のBボックス席を買い占めるほどであった。 休憩時間や開演のファンファーレ、服装規定(男性はタキシードあるいは上着とネクタイを着用した黒系の背広、女性はそれに準じた服装、学生は制服着用可能)も本物同様に行われ、公演に先立って大阪と東京で初心者向けの映画鑑賞と渡辺護による講演の会、対訳台本の販売なども行われた。 トリスタンとイゾルデ(4月7日、10日、13日、16日)トリスタン: ヴォルフガング・ヴィントガッセン イゾルデ:ビルギット・ニルソン マルケ王:ハンス・ホッター クルヴェナール:フランス・アンダーソン ブランゲーネ:ヘルタ・テッパー メロート:セバスチャン・ファイアジンガー 舵取り:ゲルト・ニーンシュテット 牧童、若い水夫:ゲオルク・パスクダ(二役) 指揮:ピエール・ブーレーズ 演出:ヴィーランド・ワーグナー(ヴィーランド死去により、助手であったペーター・レーマンが指導) ワルキューレ(日本初演。4月8日、11日、14日、17日)ジークムント:ジェス・トーマス ジークリンデ:ヘルガ・デルネシュ フンディング:ゲルト・ニーンシュテット ブリュンヒルデ:アニャ・シリヤ ヴォータン:テオ・アダム フリッカ、 シュヴェルトライテ:グレース・ホフマン(二役) ヘルムヴィーゲ:ヘルザ・カヴェルティ オルトリンデ:ゲルトラウト・ホップ ゲルヒルデ:ロッテ・リザネク ワルトラウテ:エリカ・シューベルト ジークルーネ:アリス・エルケ ロスワイセ:ハンナ・ルートヴィヒ グリムゲルデ:エリーザベト・シュルテル 指揮:トーマス・シッパーズ(4月8日、11日、14日)、ヴォルフガング・レンネルト(4月17日) 演出:ヴィーラント・ワーグナー(ヴィーラント死去により、助手であったペーター・レーマンが指導)
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