1967年の公演とは? わかりやすく解説

1967年の公演(大阪国際フェスティバル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 05:33 UTC 版)

バイロイト音楽祭」の記事における「1967年の公演(大阪国フェスティバル)」の解説

1度目1967年4月フェスティバルホール開催され第10回大阪国フェスティバルでの「バイロイト・ワーグナー・フェスティバル」である。オーケストラ合唱以外はすべてバイロイトスタッフ占められていた。オーケストラNHK交響楽団務め合唱一般公募集められテノール38名、バス32名からの選抜メンバー大阪音楽大学教員および学生編成された「大阪国フェスティバル合唱団」が務めた合唱団メンバー募集にあたっては、身長ステージ出演者は165cm以上と制限があり、バックステージ出演者は特に制限がなく、日本全国から150余り応募して特に31名がステージ出演者として選抜され舞台立ったバックステージ出演者に関して専門技術要するということで、大阪音楽大学声楽専攻学生務めることとなった合唱団クラウス・プリングスハイムらの指導受けた大阪音楽大学のこの公演対す意気込みようは並大抵のものではなく教職員のために全公演のBボックス席を買い占めるほどであった休憩時間開演ファンファーレ服装規定男性タキシードあるいは上着ネクタイ着用した黒系の背広女性はそれに準じた服装学生制服着用可能)も本同様に行われ公演先立って大阪東京初心者向けの映画鑑賞渡辺護による講演の会、対訳台本販売なども行われたトリスタンとイゾルデ4月7日10日13日16日トリスタンヴォルフガング・ヴィントガッセン イゾルデビルギット・ニルソン マルケ王ハンス・ホッター クルヴェナール:フランス・アンダーソン ブランゲーネ:ヘルタ・テッパー メロート:セバスチャン・ファイアジンガー 舵取り:ゲルト・ニーンシュテット 牧童、若い水夫:ゲオルク・パスクダ(二役) 指揮ピエール・ブーレーズ 演出:ヴィーランド・ワーグナー(ヴィーランド死去により、助手であったペーター・レーマンが指導) ワルキューレ日本初演。4月8日11日14日17日ジークムントジェス・トーマス ジークリンデ:ヘルガ・デルネシュ フンディング:ゲルト・ニーンシュテット ブリュンヒルデアニャ・シリヤ ヴォータンテオ・アダム フリッカシュヴェルトライテグレース・ホフマン(二役) ヘルムヴィーゲ:ヘルザ・カヴェルティ オルトリンデ:ゲルトラウト・ホップ ゲルヒルデ:ロッテ・リザネク ワルトラウテ:エリカ・シューベルト ジークルーネ:アリス・エルケ ロスワイセ:ハンナ・ルートヴィヒ グリムゲルデ:エリーザベト・シュルテル 指揮トーマス・シッパーズ4月8日11日14日)、ヴォルフガング・レンネルト(4月17日演出ヴィーラント・ワーグナー(ヴィーラント死去により、助手であったペーター・レーマンが指導)

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