1958 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア予選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/13 08:27 UTC 版)
1958 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア予選はアフリカ・アジア地区で行われた1958 FIFAワールドカップ・予選である。アジアサッカー連盟とアフリカサッカー連盟から8チームがエントリーしたが、実際にはイスラエルとの対戦を拒否するチームが多く、参加を辞退するチームが続出した。本来は出場枠が1与えられていたが、参加辞退が相次ぎイスラエルが全く試合をせずにアフリカ・アジア地区の代表となったため、急遽欧州地区とのプレーオフが開催されることになった。
目次
予備予選
中華民国が出場を辞退したため、インドネシアが1次予選に進出。
1次予選
グループ1
香港は出場を辞退した。
順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1= | ![]() |
2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 5 | 4 | 1.25 |
1= | ![]() |
2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 4 | 5 | 0.8 |
日時 | 場所 | ホーム | スコア | アウェー |
---|---|---|---|---|
1957年5月12日 | ジャカルタ | インドネシア ![]() |
2 – 0 | ![]() |
1957年6月2日 | 北京 | 中国 ![]() |
4 – 3 | ![]() |
中国とインドネシアは勝ち点で並んだため、中立地においてプレーオフが開催された。
日時 | 場所 | ホーム | スコア | アウェー |
---|---|---|---|---|
1957年6月23日 | ヤンゴン | インドネシア ![]() |
0 – 0 | ![]() |
プレーオフでも引き分けだったため、得失点率でインドネシアが2次予選に進出した。
グループ2
トルコはイスラエルとの対戦を棄権、イスラエルが2次予選に進出した。
グループ3
キプロスは出場を辞退、エジプトが2次予選に進出した。
グループ4
順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
3 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 |
2 | ![]() |
1 | 2 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 |
日時 | 場所 | ホーム | スコア | アウェー |
---|---|---|---|---|
1957年3月8日 | ハルツーム | スーダン ![]() |
1 – 0 | ![]() |
1957年5月24日 | ダマスカス | シリア ![]() |
1 – 1 | ![]() |
スーダンが2次予選に進出。
2次予選
インドネシアはイスラエルとの対戦を拒否し、FIFAから予選除外を通告された。エジプトも同様の理由で除外され、イスラエルとスーダンが最終予選に進出した。
最終予選
スーダンはイスラエルとの対戦を拒否し、イスラエルがアフリカ・アジア予選の勝者となった。しかし、イスラエルが1試合もせずに本大会出場権を獲得することを問題視したFIFAは急遽UEFAとの大陸間プレーオフを設定、イスラエルはウェールズと戦うことになった[1]。
大陸間プレーオフ
順位 | チーム | 点 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 |
2 | ![]() |
0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 |
日時 | 場所 | ホーム | スコア | アウェー |
---|---|---|---|---|
1958年1月15日 | ラマト・ガン | イスラエル ![]() |
0 – 2 | ![]() |
1958年2月5日 | カーディフ | ウェールズ ![]() |
2 – 0 | ![]() |
ウェールズが本大会の出場権を獲得した。
関連項目
脚注
- ^ World Cup 1958 Qualifying RSSSF.com
外部リンク
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「1958 FIFAワールドカップ・アフリカ・アジア予選」の例文・使い方・用例・文例
- 父は1958年にオックスフォードを出た
- 1958年の夏にそのピアニストは衝撃的な凱旋を行った
- 1958年の中頃に
- パレスチナ国家の建設に向けて取り組むために1958年にヤセル・アラファトによって設立されたパレスチナの政治で軍の組織
- 米国の風刺小説の作家(1879年−1958年)
- 米国のブルース音楽家で、伝統的ブルース音楽を編曲し発表した(1873年−1958年)
- 米国の歌手で、4人の兄弟といっしょに歌い始め、その後1980年代に非常に成功したスターになった(1958年生まれ)
- スペイン人の叙情詩人(1881年−1958年)
- イタリア人の1958年から1963年までの教皇で、第2バチカン公会議を召集した(1881年−1963年)
- 米国の電気技術者で、数々の自動車の改良(電気スターターを含む)を行った(1876年−1958年)
- ハンガリーの振付師で、ラバン式ダンス表記法を開発した(1879年−1958年)
- 米国の物理学者で、サイクロトロンを開発した(1901年−1958年)
- 1980年代の米国のポップ歌手でセックスシンボル(1958年生まれ)
- 英国の哲学者(1873年−1958年)
- 英国人の詩人(1880年−1958年)
- 米国の物理学者(オーストリア生まれ)で、排他原理(その結果、周期表の理論的基礎を提供する)を提案した(1900年−1958年)
- 教皇で、第二次世界大戦中は中立を維持し、ヒットラーに迫害されたユダヤ人を助けなかったことで後に批判された(1876年−1958年)
- アイルランド人の劇作家で、ダブリンの劇場のマネージャー(1886年−1958年)
- ユーコン領域での生活について書いたカナダの作家(イングランド生まれ)(1874年−1958年)
- 産児制限運動家で、1921年にロンドンで最初の避妊クリニックを開いた(1880年−1958年)
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