1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)とは? わかりやすく解説

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1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/18 16:43 UTC 版)

1953年のNPBオールスターゲーム
ゲームデータ
セ監督 水原茂
パ監督 山本一人
セ投票最多 児玉利一
パ投票最多 筒井敬三
第1戦
日程 7月1日
開催地 後楽園球場
スコア パリーグ 2-0 セリーグ
MVP 飯田徳治
第2戦
日程 7月6日
開催地 甲子園球場
スコア パリーグ 0-2 セリーグ
MVP 平井三郎
第3戦
日程 7月8日
開催地 中日スタヂアム
スコア パリーグ 3-0 セリーグ
MVP 堀井数男
« 1952
1954 »

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1953年のオールスターゲームは、1953年7月に行われた日本プロ野球オールスターゲーム

概要

前年、2度目の日本一を達成した読売ジャイアンツ(巨人)監督の水原茂が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ2連覇を達成した南海ホークス監督の山本一人が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いた。

第1戦は両チーム得点のないまま延長戦に突入したが、11回表に全パ飯田徳治(南海)のタイムリーで勝ち越して勝利を収めた。続く第2戦も中盤まで点の入らない状況が続いたが、5回裏に全セの代打平井三郎(巨人)の2点適時打が飛び出し、そのまま逃げ切った。場所を名古屋に移して開催された第3戦も点が入らない展開が続いたが、9回表、全パが二死一塁の場面から南海の岡本伊三美堀井数男松井淳、そして投手の西鉄川崎徳次の4連続安打で3点をとり、試合を決めた。

梅雨の影響もあって第1戦と第2戦の間が5日間も空いた。しかも2年ぶりに開催された第3戦は全く予定外なまでに遅れたため、球宴史上初のナイターとなった。翌年からはリーグ戦の日程も鑑みて2試合制に戻った。

選出選手

セントラル・リーグ[1] パシフィック・リーグ[1]
監督 水原茂 巨人 監督 山本一人[2] 南海
コーチ 小西得郎 洋松 コーチ 藤本定義 大映
松木謙治郎 大阪 若林忠志 毎日
投手 長谷川良平 広島 2 投手 関根潤三 近鉄 2
別所毅彦 巨人 3 沢藤光郎 近鉄
杉下茂 名古屋 3 柚木進 南海 3
藤村隆男 大阪 3 川崎徳次 西鉄 3
大友工 巨人 2 荒巻淳 毎日 2
石川克彦 名古屋 林義一 大映 3
金田正一 国鉄 3 姫野好治 大映
中尾碩志 巨人 2 柴田英治 阪急
藤本英雄 巨人 3 米川泰夫 東急 2
梶岡忠義 大阪 2 大津守 西鉄
捕手 野口明 名古屋 3 捕手 筒井敬三 南海 3
広田順 巨人 2 松井淳 南海
徳網茂 大阪 2 伊勢川真澄 阪急 2
一塁手 川上哲治 巨人 3 一塁手 飯田徳治 南海 3
二塁手 千葉茂 巨人 3 二塁手 岡本伊三美 南海
三塁手 児玉利一 名古屋 三塁手 蔭山和夫 南海 3
遊撃手 白石勝巳 広島 遊撃手 木塚忠助 南海 3
内野手 西沢道夫 名古屋 3 内野手 深見安博 東急
藤村富美男 大阪 3 本堂保弥 毎日 2
宇野光雄 巨人 中西太 西鉄
平井三郎 巨人 3 レインズ 阪急
外野手 小鶴誠 広島 2 外野手 荒川博 毎日
杉山悟 名古屋 2 別当薫 毎日 3
原田徳光 名古屋 3 大下弘 西鉄 3
金田正泰 大阪 戸倉勝城 阪急 2
与那嶺要 巨人 2 菅原道裕 大映
南村不可止 巨人 2 呉昌征 毎日 2
岩本義行 洋松 3 堀井数男 南海 2
青田昇 洋松 3
  • 太字はファン投票で選ばれた選手、▲は出場辞退選手発生による補充選手。
    • 石川、中尾、梶岡、沢藤、姫野、大津は3試合とも出場機会がなかった[3]

試合結果

第1戦

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 R H E
全パ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 2 7 1
全セ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 3
  1. (延長11回)
  2. パ:関根)、川崎西)、荒巻)、○林義()-筒井)、松井(南)、伊勢川
  3. セ:長谷川)、金田)、別所)、●杉下()、大友(巨)-野口明(名)、広田(巨)、徳網
  4. 勝利投手林義(1勝)  
  5. 敗戦投手杉下(1敗)  
  6. 審判
    [球審](セ)
    [塁審]横沢三(パ)・津田(セ)・苅田(パ)
    [外審]筒井(セ)・二出川(パ)
  7. 試合時間:2時間17分

オーダー

パシフィック
打順 守備 選手
1 [三] 蔭山和夫
2 [遊] 木塚忠助
3 [中] 別当薫
4 [左] 大下弘
5 [一] 飯田徳治
6 [二] 岡本伊三美
7 [右] 荒川博
8 [捕] 筒井敬三
9 [投] 関根潤三
セントラル
打順 守備 選手
1 [遊] 白石勝巳
2 [二] 千葉茂
3 [中] 小鶴誠
4 [一] 川上哲治
5 [左] 杉山悟
6 [三] 児玉利一
7 [右] 原田徳光
8 [捕] 野口明
9 [投] 長谷川良平

第2戦

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1
全セ 0 0 0 0 2 0 0 0 X 2 3 0
  1. パ:柚木(南)、●川崎、荒巻、柴田(急)-筒井、松井
  2. セ:藤村隆(神)、金田、○大友、別所-野口、広田
  3. 勝利投手:大友(1勝)  
  4. 敗戦投手:川崎(1敗)  
  5. 審判
    [球審]二出川(パ)
    [塁審]筒井(セ)・苅田(パ)・津田(セ)
    [外審]横沢三(パ)・島(セ)
  6. 試合時間:1時間46分

オーダー

パシフィック
打順 守備 選手
1 [三] 蔭山和夫
2 [遊] 木塚忠助
3 [中] 別当薫
4 [左] 大下弘
5 [一] 飯田徳治
6 [二] 岡本伊三美
7 [右] 荒川博
8 [捕] 筒井敬三
9 [投] 柚木進
セントラル
打順 守備 選手
1 [右] 原田徳光
2 [二] 千葉茂
3 [中] 小鶴誠
4 [一] 川上哲治
5 [三] 児玉利一
6 [左] 杉山悟
7 [捕] 野口明
8 [投] 藤村隆男
9 [遊] 白石勝巳

第3戦

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 0 0 0 0 0 0 0 0 3 3 7 0
全セ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0
  1. パ:米川)、林義、荒巻、○川崎-筒井、松井
  2. セ:杉下、金田、長谷川、大友、別所、●藤本(巨)、藤村隆-野口、広田
  3. 勝利投手:川崎(1勝1敗)  
  4. 敗戦投手藤本(1敗)  
  5. 審判
    [球審]筒井(セ)
    [塁審]横沢三(パ)・島(セ)・二出川(パ)
    [外審]津田(セ)・苅田(パ)
  6. 試合時間:2時間4分

オーダー

パシフィック
打順 守備 選手
1 [三] 蔭山和夫
2 [遊] 木塚忠助
3 [中] 別当薫
4 [左] 大下弘
5 [一] 飯田徳治
6 [二] 岡本伊三美
7 [右] 荒川博
8 [捕] 筒井敬三
9 [投] 米川泰夫
セントラル
打順 守備 選手
1 [右] 原田徳光
2 [二] 千葉茂
3 [中] 小鶴誠
4 [一] 川上哲治
5 [三] 児玉利一
6 [左] 杉山悟
7 [捕] 野口明
8 [投] 杉下茂
9 [遊] 白石勝巳

ラジオ中継

第3戦は日程が大幅がずれ込んだために全国中継されなかった。

備考

2月1日日本放送協会(NHK)が日本で初めてテレビ本放送を(東京エリアのみ)開始させたが、このときはまだテレビによるプロ野球中継を行なっていなかった(初のテレビ中継は8月23日阪急西宮球場で行われた、パ・リーグの阪急毎日公式戦である[4])。初のオールスター戦中継は、翌年7月1日第1戦である。

脚注

  1. ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.63
  2. ^ 選手として通算2回出場、監督として2回目
  3. ^ 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.64-66
  4. ^ 【8月23日】1953年(昭28) ナイター初中継のカードは試合開始時間で決めていた - スポニチアネックス2007年8月

関連項目

外部リンク




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