1930年~ 黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 13:50 UTC 版)
「ラグビー日本代表」の記事における「1930年~ 黎明期」の解説
日本代表誕生 1899年(明治32年)、慶應義塾大学にラグビーが伝えられて以来、各大学を中心に競技が広まり、1924年(大正13年)に関東ラグビー蹴球協会、1925年(大正14年)に西部ラグビー蹴球協会ができ、1926年(大正15年)11月30日に日本ラグビー蹴球協会(現在の日本ラグビーフットボール協会)が発足した。 初めて日本代表が編成されたのは1930年(昭和5年)8月~10月のカナダ遠征である。香山蕃が初代監督に就任し、全7戦のうち6戦目、9月24日に行われたブリティッシュコロンビア州代表 (以下、BC代表)戦が初のテストマッチ認定試合となった。試合結果は、双方1トライずつで3-3の引き分け(当時のトライは3点)。この海外遠征は、6勝1分の成績を残した。 国内での初テストマッチは、1932年1月31日のカナダ代表との対戦。戦前最高のプレイヤーと呼ばれた笠原恒彦 (明大)らの活躍により、戦績は日本の2戦2勝だった。香山は1930年から1934年まで監督を務め、テストマッチで3勝1敗の成績を残した。 一方、1932年から1962年までは海外での試合はなく、国内でのみ試合を行なった。この間、ニュージーランド学生代表クラブ (NZU)、オーストラリア学生代表、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の他、在韓ニュージランド部隊や極東英連邦軍チームなどと対戦したが、ほとんど勝てなかった。 1963年、葛西泰二郎が監督に就任し、33年ぶりにカナダへ遠征。同年4月13日のBC代表戦を33-6で制し、海外遠征テストマッチ初勝利を挙げた他、通算成績4勝1敗の成績を残した。ちなみに同遠征メンバーの中に、後にプロレスラー グレート草津となる草津正武もいた。
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