1931/1932年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/24 02:21 UTC 版)
「ファーラップ」の記事における「1931/1932年」の解説
休養を取ったファーラップは8月下旬に復帰した。ファーラップは過去2年とは異なり復帰初戦を勝利し、10月末にかけて8連勝した。11月3日には連覇をかけてメルボルンカップに出走したが、体調が思わしくなかった上に68.1キロの斤量を課せられたことが響き、8着に敗れた。 メルボルンカップ出走後、デーヴィスはメキシコのアグアカリエンテ競馬場で行われる、当時世界最高額となる5万ドルの1着賞金が懸かったアグアカリエンテハンデキャップへの招待を受託し、ファーラップを同国へ遠征させると発表した。テルフォードは乗り気ではなく、遠征に同行しないことにした。1932年1月にオーストラリアを出発したファーラップは急激な気候の変化(1月は南半球は夏、北半球では冬にあたる)に苦しみながらも3月20日にアグアカリエンテハンデキャップに出走し、コースレコードを記録して優勝した。
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