山名の歴史とは? わかりやすく解説

山名の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 16:41 UTC 版)

三俣蓮華岳」の記事における「山名の歴史」の解説

現在の三俣蓮華岳明治登山黎明期までは鷲羽岳であり、現在の鷲羽岳 (2924m) は東鷲羽岳あるいは龍池ヶ岳と呼ばれていた。戦国時代末期以後加賀藩時代より飛騨山脈大半加賀藩奥山廻りによって調査され山名地形詳細な絵図記録されていた。特にこの現在の三俣蓮華岳付近加賀藩時代三国境としての要地点で詳細に調査されていた。 ところが1910年明治43年)に日本山岳会小島烏水高頭仁兵衛上高地の上嘉門次案内人として信州方面から登山したとき、彼らにとってこの山域は処女地であった。このとき三俣蓮華岳について越中側での呼び名知らなかった案内人嘉門次に「飛騨猟師が、この山で熊を射止めた。そうして熊の膽キモ)のつもりで俗称蓮華膽(肝臓)を腹から引き出して喰ったので、信州猟師達が嘲笑って蓮華喰みの岳と言ったのを略して蓮華呼んでいる」と説明された。 当時参謀本部陸地測量部5万分の1地形図では、従来越中側の山名踏襲して鷲羽岳記されていた。そこで日本山岳会面々は、陸地測量部調査不十分であると地形図訂正強く求めたその結果1930年昭和5年)の修正版で改訂されて現在に至っている。

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山名の歴史

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鷲羽岳」の記事における「山名の歴史」の解説

現在の鷲羽岳明治登山黎明期までは東鷲羽岳あるいは龍池ヶ岳と呼ばれていて、現在の三俣蓮華岳 (2,841 m) が鷲羽岳であった戦国時代末期以後加賀藩時代より飛騨山脈大半加賀藩奥山廻りによって調査され1697年元禄10年)に「ノ羽岳」の山名地形絵図にされていた。 特にこの現在の三俣蓮華岳付近は、加賀藩時代三国境としての重要さから詳細に調査されていた。 鷲羽池について、1810年文化7年)の山廻日記文化七年 上奥山境目廻リ 桐沢半六』には、「八月二日晴天中略鷲羽嶽江登、ノ羽嶽頭ニ而方角中略鷲羽嶽ノ巳ノ方池有ル 此ノ池甚タ減水ニ而、三分程有ル」と記されている。 1910年明治43年)、日本山岳会小島烏水高頭仁兵衛が、上高地の上嘉門次案内人として信州方面から登山したとき、彼らにとってはこの山域は処女地であった。このとき三俣蓮華岳について越中側での呼び名知らなかった案内人嘉門次に、「飛騨猟師が、この山で熊を射止めた。そうして熊の膽キモ)のつもりで俗称蓮華膽(肝臓)を腹から引き出して喰ったので信州猟師達が嘲笑って蓮華喰みの岳と言ったのを略して蓮華呼んでいる」と説明されのである当時参謀本部陸地測量部5万分の1地形図では、従来越中側の山名踏襲して現在の三俣蓮華岳鷲羽岳記されていた。そこで日本山岳会面々は、、陸地測量部調査不十分であると地図訂正強く求めたその結果1930年昭和5年)の修正版で改訂されて現在に至っている。 山名の由来は、三俣蓮華岳から眺めたが羽ばたいている山容からきているとされている。

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