山名の歴史と由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 15:47 UTC 版)
山の上部で水晶が採取されることが山名の由来であり、山肌が黒いことが別名の由来である。水晶小屋があるピークの山は、山肌が赤いことから「赤岳」と呼ばれることがある。 戦国時代末期以後の加賀藩政時代より、奥山廻りが毎年のように山頂を踏み、縦走してこれを記録に書きとどめ、詳細な地図まで作成していた。古地図や古記録には、水晶岳、六方石山、中岳剣、中剣岳などの名前で記されていた。六方石は水晶の異名であり、中岳は南隣の赤岳の古名である。奥山廻りの石黒信由の『三州測量図籍』という1835年(天保6年)の記録には、中岳剣という名でその位置、方向、山容まで詳細に記録されていた。 1907年(明治40年)夏、志村烏嶺は北アルプスの最奥地、黒部川源流域の人跡未踏の深山を求め、高瀬渓谷から烏帽子岳に登り、現在のいわゆる裏銀座コースを縦走して鷲羽岳に至った。その時の紀行文「日本アルプス縦走記」が当時の山岳雑誌『山岳』の巻頭を飾った。その中で志村烏嶺は「これは破天荒の壮挙、未曾有の壮挙、誰かその一部たりとも、日本アルプスの峻嶺を、その山稜に沿ふて、縦走せしものありや」と書いた。 水晶岳では「崇高、雄偉、日本アルプス中稀に見る、高さ鷲羽に譲らず、黒部川の水源をなすところの一霊峰を発見、同伴の信州の人夫、類蔵もその名を知らず、地図を探るも、何れも実際に適せるものなし」として、「後日研究の結果、黒岳と命名」と記した。
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