台湾における競馬の黎明期とは? わかりやすく解説

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台湾における競馬の黎明期(1928年-1931年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:10 UTC 版)

台湾の競馬」の記事における「台湾における競馬の黎明期(1928年-1931年)」の解説

台湾では1928年(昭和3年)台北競馬始まった台北市内の運動場圓山グラウンドに1周400メートルコース13メートル仮設馬場作り台北馬事協会主催し馬は台北武徳会馬術部台湾各地乗馬クラブ集めた41頭で競馬行ったのが台湾競馬嚆矢だとされている。この時の馬は大半騸馬なおかつ老齢の馬が多かったというが、それでも盛況だったという。台湾では競馬法競馬規則がなかったが、昭和3年競馬では1枚50銭で馬券売り、3273円の売り上げがあった。1929年(昭和4年)には台中台南嘉義屏東などでも競馬始まり台中台南嘉義の三か所で約57000円の売り上げがあり、その後台湾全島競馬企画されるようになった馬券1928年(昭和3年)は1枚50銭、翌年から1枚1円内地競馬法意識して一人1レースにつき1枚発売していた。 台湾総督府ではこれをギャンブル行為として取り締まることとしたが、農林省馬産奨励観点から公認競馬としてきちんとした規則の元で競馬行った方が合理的と言い台湾総督府馬券払い戻し現金ではなく物品引換券(指定され商店物品引換できる商品券)とする条件付き馬券発売を伴う競馬認めることにした。 台湾各地競馬公園運動場練兵場一部借りて1周400メートルから600メートルほどの仮設馬場作って始まったが、1930年(昭和5年)秋に嘉義屏東では1周800メートル常設競馬場出来新竹高雄でも競馬始まった1931年(昭和6年)中には台湾7都市競馬が出そろったが、この時の台湾の競馬場は仮設もしくは常設であっても1周800メートル貧弱な施設であり、馬のレベル低く日本本土競馬比べると「まことに幼稚なものでお話にならないもの」であった

※この「台湾における競馬の黎明期(1928年-1931年)」の解説は、「台湾の競馬」の解説の一部です。
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