台湾における競馬の黎明期(1928年-1931年)
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台湾では1928年(昭和3年)台北で競馬が始まった。台北市内の運動場圓山グラウンドに1周400メートル、コース幅13メートルの仮設馬場を作り、台北馬事協会が主催し馬は台北武徳会馬術部や台湾各地の乗馬クラブが集めた41頭で競馬を行ったのが台湾競馬の嚆矢だとされている。この時の馬は大半が騸馬でなおかつ老齢の馬が多かったというが、それでも盛況だったという。台湾では競馬法や競馬規則がなかったが、昭和3年の競馬では1枚50銭で馬券を売り、3273円の売り上げがあった。1929年(昭和4年)には台中、台南、嘉義、屏東などでも競馬が始まり、台中、台南、嘉義の三か所で約57000円の売り上げがあり、その後は台湾全島で競馬が企画されるようになった。馬券は1928年(昭和3年)は1枚50銭、翌年から1枚1円で内地の競馬法を意識して一人1レースにつき1枚発売していた。 台湾総督府ではこれをギャンブル行為として取り締まることとしたが、農林省は馬産奨励の観点から公認競馬としてきちんとした規則の元で競馬を行った方が合理的と言い、台湾総督府は馬券払い戻しを現金ではなく物品引換券(指定された商店で物品と引換できる商品券)とする条件付きで馬券発売を伴う競馬を認めることにした。 台湾各地の競馬は公園や運動場、練兵場の一部を借りて1周400メートルから600メートルほどの仮設の馬場を作って始まったが、1930年(昭和5年)秋には嘉義と屏東では1周800メートルの常設競馬場が出来、新竹や高雄でも競馬は始まった。1931年(昭和6年)中には台湾7都市の競馬が出そろったが、この時の台湾の競馬場は仮設もしくは常設であっても1周800メートルの貧弱な施設であり、馬のレベルも低く日本本土の競馬と比べると「まことに幼稚なものでお話にならないもの」であった。
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