台湾における皇民化運動
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日本統治時代の台湾における統治を担った台湾総督府は、統治開始当初においては日本語教育の推進こそ図ったが、同時に台湾古来の風俗習慣を尊重し、台湾人の生活や信仰に関しては全面的な日本化を求めなかった。しかし、1937年(昭和12年)7月に日中戦争が勃発した後、戦争へ台湾住民を動員する必要から、総督府をはじめ地方政府や民間団体が「皇民化」運動を展開した。「皇民化」とは、文官総督時代の同化政策をさらに強化するものである。「皇国精神の徹底を図り、普通教育を振興し、言語風俗を匡励して忠良なる帝国臣民たるの素地を培養」することを目的とした。まず、新聞の漢文欄が廃止され、台湾人に対し日本式の姓名とするように改めさせた。また、信仰についても日本の神道を受け入れさせ、定期的に神社に参拝をさせるよう強要したほか、「寺廟整理」や「正庁改善」の運動の推進を奨励した。「壮丁団運動」と「部落振興運動」により集落(自然村)を単位に労力を動員し、公共工事、軍事施設建設、共同生産に従事させた。皇民化は、台湾人の日本人化のみならず、戦時体制の完成と戦争遂行に向けての全台湾人を巻き込んだ大々的運動であった。
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