1875 - 1904年(少年 - 青年期)
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「アレイスター・クロウリー」の記事における「1875 - 1904年(少年 - 青年期)」の解説
クロウリーは、英国ウォリックシャー州でビール醸造業を営む裕福な家庭に生まれた。キリスト教福音主義の一派プリマス・ブレザレンの敬虔な信徒であった両親の方針により、教派運営の寄宿学校で教育を受けたが、成長したクロウリーは信仰を拒絶するようになった。一説には寄宿舎での人間関係トラブル(所謂いじめ)が原因とされ、彼の反抗的な(年齢にそぐわず勇敢で、家族に対しては無心があった)性格形成の原点になったとも言われる。また、11歳の時に深く尊敬する父親と死別した事も彼を大きく打ちのめして一時期非行にも走らせる事になった。 父が残した莫大な遺産を相続し、1895年にケンブリッジ大学に入ったクロウリーは登山と詩作に熱中した。1898年に魔術結社「黄金の夜明け団」に参入したクロウリーは、先輩団員アラン・ベネット(英語版)の指導下で数々の秘儀知識を習得した。また彼の影響で同団の首領であるマグレガー・マサースに師事するようになった。1900年春に発生した団内の内紛で師匠マサースと共に黄金の夜明け団を追放されると、ネス湖の畔に購入した邸宅で半ば隠棲してアブラメリン魔術の実践に着手したという。その間に世界一周旅行もして見聞を広め、また登山史に残るK2登頂にも挑戦している。1904年に結婚したクロウリーは新妻ローズとのハネムーン先となったエジプトのカイロで魔術儀式を行い、その中でアイワスと名乗る霊的存在からの幻聴を『法の書』として書き留め、これが彼の生涯をかけて追求するセレマ思想提唱の起点になった。
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