1875年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:49 UTC 版)
1874年(明治7年)2月、民間人で堀正と天野伴蔵の両者が私財を出して戸田橋の工事に着手した。途中資金不足で工事が中断したが、長野県人の正木誓がこれを引き継いだ。施工中の橋は大雨により流失に見舞われたが、地元の資金援助を受けて工事を再開し、1875年(明治8年)5月26日に木製の戸田橋が竣工した。架橋場所は渡船場と同位置(国道17号のおよそ130メートル下流側)で、工費は12660円であった。橋長136.0メートル(75間)、幅員4.2メートル(2貫2尺)。通行は有料で渡船時代の通行料よりも高額であった。通行料は1人5厘、荷車を引いた牛や馬は1銭であった。橋の両詰に詰所がありそこで通行料を徴収していた。1885年の大水で破損し、翌年改修された。1896年(明治29年)に橋は埼玉県に移管された。通行料の徴収は1898年(明治31年)まで継続された。
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