1812年の動きとは? わかりやすく解説

1812年の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:35 UTC 版)

オンタリオ湖での戦闘」の記事における「1812年の動き」の解説

米英戦争宣戦布告が行われたとき、イギリス五大湖でプロビンシャル・マリーンという海軍に近いものを所有しているという利点があった。その艦船は特に良い乗組員がいたり、効率的であったりするものではなかったが、当初エリー湖ヒューロン湖では対抗できる勢力無くアイザック・ブロック少将による初期決定的な勝利を可能にした。 オンタリオ湖には、シップHMSロイヤル・ジョージとプリンス・リージェント、ブリッグのアール・オブ・モイラとデューク・オブ・グロスターがキングストン・イギリス海軍基地拠点にしていた。スクーナーセネカとシムコーも就役していた。首席士官75歳のジョン・スティール代将であり、年を取りすぎていた。スティール退役し、ヒュー・アール海軍中佐に代わった。アメリカはメランクトン・テイラー・ウールジー大尉指揮下にブリッグオナイダ1隻を所有するだけであり、サケッツ港に小さな海軍基地があるだけだった7月19日、プロビンシャル・マリーンの5隻が第一次サケッツ港の海戦オナイダ襲ったが、撃退された。 9月3日アメリカ海軍事態対処するために、当時ニューヨーク海軍造船所指揮していたアイザック・チョウンシー代将五大湖指揮官指名したチョウンシー実質的にエリー湖海軍担当していたが、そこでの建艦作戦にはほとんど関わらずオンタリオ湖集中していた。オナイダを補うためにまず商船購入する徴発した(カナダスクーナー捕獲したものも含む)が、かなりの数の船大工造船工などをサケッツ港に派遣して適切な戦闘艦を造らせた。主任技師アダム・ブラウン、その兄弟のノア・ブラウンとヘンリー・エックフォードだった。11月26日には最初のコルベットマディソンを進水させた。その建艦使われ木材は、9月にはまだ自生していたものだった。 チョウンシー11月6日オナイダ艦隊旗を掲げ、その戦隊とともにイギリスのロイヤル・ジョージを追ってキングストン向かった。このときは岸の砲台砲艦から反撃され、さらにスクーナーパートの大砲爆発してその指揮官致命傷を負わせ、戦隊混乱させたこともあって、撃退された。この戦闘後に冬が近付いたので、両軍艦船は港から出られなくなったチョウンシーは、イギリス軍正規兵部隊が氷を渡って攻撃してくることを怖れ船大工達に艦船周りの氷を見張らせて、少なくともどのような攻撃に対して発砲できるようにさせていた。しかし、イギリス軍はこの時点そのような攻撃をするつもりは無かったイギリス軍マディソン対抗するために、キングストンで1隻、ヨークで1隻、合計2隻のコルベット建造し始めた。しかしその動きは、特にヨーク遅れたカナダ軍政府長官ジョージ・プレボスト中将工事監督させるために選んだ造船工トマス・プラックネットと、アッパー・カナダ陸軍参謀アンドリュー・グレイ大尉など士官達との間に論争あったからだった。プラックネットの作業キングストンのものと同様に統制取れていないと見なされ、プラックネットは解任され、より経験積んだダニエル・アレンが後任になった。しかしアレン労働条件に関する論争扇動した後で1813年3月解任された。 ノバスコシアハリファックスにあるイギリス海軍北アメリカ海軍基地から、ハーバート・ソーヤー海軍中将が3人の士官指揮官代行のロバート・ヘリオット・バークレイ、ロバート・フェニス、ダニエル・プリング)をプロビンシャル・マリーンに派遣し、その冬の間、キングストンに既にある艦船艤装改善させた。しかし本国海軍本部はこれとは別にジェイムズ・ルーカス・ヨー海軍大佐五大湖海軍指揮官指名したヨー本国援軍物資集め1813年初期大西洋渡った

※この「1812年の動き」の解説は、「オンタリオ湖での戦闘」の解説の一部です。
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