黔軍での台頭とは? わかりやすく解説

黔軍での台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/27 07:00 UTC 版)

李シン」の記事における「黔軍での台頭」の解説

幼年時代私塾学習したが、1908年光緒33年)に貴州陸軍小学第4期生となる。しかし、病のため卒業できず、帰郷して故郷小学教師となった中華民国成立後燊は貴陽赴いて黔軍に加入した。このときに袁祖銘親交を結び、以後は袁の下で貴州省四川省転戦した。後に、黔軍第1混成旅旅長、第5師師長昇進する1925年民国15年)、黔軍第1師師長王天培が、北京政府中央軍の暫編第9師師長昇格したため、燊が後任の黔軍第1師師長となる。翌年7月、黔軍は国民政府についた。黔軍の彭漢章王天培それぞれ国民革命軍第9軍軍長第10軍軍長に任ぜられ、10月には袁祖銘国民革命軍第12軍軍長左翼軍前敵総指揮となった11月国民革命軍暫編第7軍軍長に任ぜられ、まもなく袁配下の第1路総指揮となった

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黔軍での台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/03 08:30 UTC 版)

袁祖銘」の記事における「黔軍での台頭」の解説

最初学問志したが、1907年光緒33年3月貴陽陸軍小学堂に入学する1909年宣統元年)の卒業後は、興義県小学堂の体操教員となった1911年宣統3年)、劉顕世靖辺巡防営に加入している。 辛亥革命後1913年民国2年9月貴州陸軍第1団第2営長に任命され、まもなく第1営営となった1915年民国4年12月護国戦争第三革命)では、王文華率い護国軍に加入し北京政府軍と戦った1916年民国5年)、陸軍少将銜を授与される翌年には、暫編貴州陸軍第1師第1旅第1団団長に昇進した1918年民国7年3月貴州陸軍第2師師長となる。 袁祖銘は、王文華配下中でも勇猛な指揮官として台頭した。しかし、次第その実力を恐れる王と対立するうになるまた、王は南方政府支持派であったが、袁は逆に北京政府接近していた。1920年民国9年11月、王は民九事変発動して貴州督軍劉顕世下野追い込み貴州統治権確保しようとした。しかし翌年3月、袁は刺客放って王を暗殺したのである

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黔軍での台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/01 00:21 UTC 版)

王天培」の記事における「黔軍での台頭」の解説

父は緑営の都司だったが、後に造林業を営んだ。王天培は、初め学問志したが、科挙廃止に伴い軍人の道を志す1907年光緒33年)に貴州陸軍小学堂に入学し卒業後に武昌陸軍第3中学学んだ。なおこの頃袁祖銘とは換譜兄弟契り結んでいる。 1911年宣統3年10月武昌起義勃発すると、王は学生代表として革命軍参加し前線作戦指揮官となる。12月には、凰山要塞司令つとめた1912年民国元年)、保定陸軍軍官学校入学した1913年民国2年12月袁世凱国会解散し臨時約法廃止する王天培はこれを批判する活動行ったが、そのために逮捕収監されてしまう。貴州名士仲介により、王は釈放された。また在学中一度母の喪に服するため帰郷すると、王は自ら郷兵義勇兵)を組織し天柱活動していた会党匪賊掃討している。その後保定陸軍軍官学校卒業し、黔軍に加入した王天培護国戦争第三革命)などで軍功をあげて次第昇進し、後に彭漢章と共に黔軍指揮官谷正倫の有力配下となった1920年民国9年11月の民九事変、さらに孫文の命による広西省陸栄廷討伐にも谷に随従して参戦している。1922年民国11年1月、谷が中央直轄黔軍総司令任命されたことに従い、彭は黔軍第1混成旅旅長、王は第2混成旅旅長にそれぞれ任命された。また、この際孫文孫中山)の知遇得て桂林中国国民党加入している。

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