王天培
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/01 00:21 UTC 版)
王 天培(おう てんばい)は、中華民国の軍人。黔軍(貴州軍)の軍人で、後に国民政府(国民革命軍)の軍指揮官をつとめた。旧名は倫忠。字は植之。トン族(侗族)。弟に同じく黔軍や国民革命軍の軍人であった王天錫がいる。
- ^ 徐主編(2007)、67-68頁。
- ^ a b c d e f g 劉国銘主編(2005)、128頁。
- ^ a b c 『天柱県志』(1993)、877頁。
- ^ a b c d e 徐主編(2007)、68頁。
- ^ この当時、貴州省では孫文支持の新軍軍人を核とする「新派」(指導者は黔軍総司令・王文華)と、北京政府支持の旧軍・政治家を核とする「旧派」(指導者は貴州督軍・劉顕世)の権力闘争が激化していた。谷正倫は王文華の指示を受けて貴陽へ進軍してこれを占領、旧派を粛清した事件である。
- ^ 熊(1996)、270頁。
- ^ 『天柱県志』(1993)、878頁。
- ^ 『貴州軍閥史』(1987)、190-192頁。
- ^ これは、湖南省の統治権を脅かされることを恐れた唐生智が先手を打ったものと見なされている。蒋介石も、国民党との関係が薄い袁・彭への警戒感は強かった。唐は、王の粛清も蒋に求めていたが、王は本文にある通り、国民党への親和性が強い経歴・思想の持ち主であった。そのため、この時点での粛清は免れたものと見られる。
- ^ 『天柱県志』(1993)、878頁。
- ^ 『天柱県志』(1993)、878-879頁。
- ^ 李宗仁(1988)、340頁
- ^ 『天柱県志』(1993)、879頁。
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