王大楨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/01 04:45 UTC 版)
王 大楨(おう だいてい/おう たいてい)は、中華民国の外交官・政治家・歴史学者。字は芃生。[1]。号は曰叟。日本留学経験を持つ外交専門家として、特に国民政府期の活動が顕著な人物である。
- ^ 東亜問題調査会編(1941)、18頁によると、満州国に同姓同名の別人が現れたために、その頃から名を捨て、字を公に使用するようになったという。なお徐主編(2007)、87頁は、「王芃生」の項目を使用している
- ^ a b c d e 徐主編(2007)、87頁。
- ^ a b c d 劉国銘主編(2005)、119頁。
- ^ a b c d e 東亜問題調査会編(1941)、18頁。
- ^ 劉国銘主編(2005)、119-120頁。ただし同書と徐主編(2007)、87頁は、この時に王大楨が交通部常務次長に任ぜられたと記載しているが、劉寿林ほか編(1995)、586頁にはこの人事につき記載が見当たらない。1937年8月20日に交通部常務次長に任命された人物は盧作孚となっている。一方、東亜問題調査会編(1941)、18頁は、何鍵が内政部長に任ぜられた際に(1937年11月20日)王が内政部次長に任ぜられたとしているが、劉寿林ほか編(1995)、513頁にはこの人事についても記載が見当たらない。次長には政務次長と常務次長の2種類があるが、内政部政務次長は何の就任後に程天固という人物が暫時つとめ、同年12月に凌璋という人物が就任している(1939年6月、何の部長退任と同時に退任)。一方、同部常務次長は張道藩が当時つとめており、翌1938年1月に張が退任した後は、何が部長を退任する時期まで黄季陸が後任となっている。
- ^ 劉国銘主編(2005)、119-120頁。
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