鷲津家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:50 UTC 版)
「我間乱〜GAMARAN〜」の記事における「鷲津家」の解説
鷲津直善(わしず なおよし) 海原藩の現藩主・鷲津直正の二十八男。しかし、妾腹の身ゆえに冷遇されてきた。常に理不尽に虐げられながら何もできない自信の無力さと、同じく冷遇される母のために海原大仕合を制し次期藩主となることを決意し、大試合に負けた場合、その命を捨てることを条件に参加を許され、大亀流の元を訪れる。その力を確かめるため連れて行った日向流の日向雅人、日向小三郎との戦いを見て、我間が自分の人生を賭けるに足りる存在だと理解する。 我間と大亀流の面々とともに試合に勝ち進むうち、彼らに対する信頼と絆を深めていき、松本無楽、藤林才蔵戦では我間への信頼から取った行動により、結果的にその負担を軽減する状況を作り出し、御堂心悟戦では攻撃を受け、失神しかけた我間の意識を取り戻させる。しかし本人も無自覚のうちに次期藩主の地位に執着するあまり、視野が狭くなっている面も見られる。 二回戦で伊藤乱丸の手引きで引き合わされた直勝と明神流が直善打倒を宣言した事に動揺、勝利後もその殺害をとまどうが、直善を気づかい代わりに首を取ろうとした我間から直勝をかばった際、逆に直勝に刺される。ここで次期藩主の地位に固執した、自らの言動が直勝の誤解と暴走を招いたことに気が付くが、決裂したまま直勝は眼前で大宮万里に殺され、慟哭、放心状態となる。 さらに海原藩乗っ取りを企む黒鉄陣介と無宝流、さらに尊敬していた母・雪尾により、海原藩乗っ取り後の傀儡の藩主として狙われ、我間、善丸とともに逃走するも、直勝同様、自分のために二人が傷つくと思いつめ、大亀流に手出ししないことを条件に陣介の軍門に下る。 続編の『-修羅-』では、海原藩の一件によって罪人とされ幕府より追われる身となっており、自らの窮地を救い保護してくれた無宝流への恩として我間に無宝流当主就任を依頼する。 鷲津直正(わしず なおまさ) 九州に存在する六十五万石の大藩・海原藩の現藩主。31人の子供たちに対し、最強の流派を見つけてくるよう指示する。その流派同士の仕合の結果、頂点に立った流派を見つけし者を跡目とすることを宣言。大仕合二回戦では実の息子たちが殺し合う仕合方法を強要するなど、異常さをうかがわせる面を多々見せている。頭部に大きな火傷跡と切り傷の跡があり、たどたどしい話し方をする。 鷲津直勝(わしず なおかつ) 鷲津家三十一男。明神流の主君。兄弟の中で唯一、直善に対し毛嫌いした態度を見せずに融和に接しており、どんな時も、何者にも屈服しないその精神を尊敬し、信愛の情を抱いていた。直善自身も心を許し、大仕合後も彼のみは庇護対象にある存在。 二回戦仕合方式に対し動揺を見せるが、直善の次期藩主への野望が全く揺るがないさまを目の当たりにし、彼の中で自分をも追い落とそうしているのではないかという疑念を抱く。ついには乱丸の手引きで兄と大亀流に対して宣戦布告するが、大亀流の前に明神流は連敗し、明神流が敗北すれば自分を殺さざるを得ないにも関わらず我間、善丸の勝利を手放しで喜ぶ直善と大亀流への憎悪を深めていく。最終的に大将の万里が直勝をあっさり見捨て試合に敗北するも、敬愛する兄が自分を殺すという事実を許せず、その首を取らんとする我間からかばおうとした直善を刺すという暴挙に出、「自分のことしか考えていないにも関わらず、常に正当化する理由を探している一番卑しい人間」と罵り、無宝流に寝返っていた大宮万里により背後から刺され、落涙しながら息絶える。
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