魔法と現実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 00:32 UTC 版)
作者は当初、『氷と炎の歌 』の物語を描くに当たって、魔法の一切出て来ない歴史改変小説を書こうとしていたが、結局は魔法の色彩の強い作品とすることを選んだ。しかし、ハイ・ファンタジーのジャンルでは魔法を慎重に用いるべきであると、筆者は信じている。また、真に効果的な魔法とは、馴染みがないというだけの単に進んだ技術やありきたりの呪文などではなく、人間の理解力を超えてはるかに異質であり、危険である力を代表すべきだと考える。魔法は、頻繁に使われるからではなく、その定義そのものによって魔法的であるべきだと言う。物語において魔法の存在は次第に大きくなっていくが、他の多くのファンタジーのようにあからさまに使われるわけではない。本作品における多くの種類の魔法が、実はただ一つの謎の超自然力の現れであることが次第に明らかになる。 登場人物は、世界の自然的な性質だけを理解しており、〈異形〉(〈異形人〉)のような魔法的存在は彼らの理解力を超える。ウェスタロスの顕著な特徴の一つは、長く不規則な季節の存在である。ファンはこれを説明する科学的理論をいくつも生み出したが、マーティンは、科学的な理由ではなく超自然的でファンタジー的な理由が背景にあると強調する。夏は成長、豊穣、喜びを象徴する季節であり、冬は生存のために闘う暗い時を象徴する。もう一つの魔法的存在のドラゴンに関しては、人間とは異質な存在にすることを望んだため、会話をするドラゴンは描かないとマーティンは決めていた。マーティンはドラゴンをいわば核抑止力のように考えており、デナーリス・ターガリエンはドラゴンの飼い主として、世界で最も強力な人間となる。現代の核保有国と比較することで、武器が破壊を行うだけでなく、改革、改善そして建設をもたらすものであることを描く。 本質的に、すべての虚構は真実から乖離している。そこでマーティンはせめて虚構の核となる部分では何らかの現実を反映すべきだと考える。魔法や呪術ではなく、剣による争いや戦争や政治的陰謀を強調することで、ファンタジーというよりは歴史小説のような印象を与えようとする。別々の文学ジャンルであるはずのファンタジーとリアリズムの融合が称賛されている。魔法は登場人物の生きる世界の周辺部分にだけ残り、不思議なものというよりは恐ろしいものである。これは栄光につつまれた善と悪との戦いというより、封建社会に押しつぶされる人生についての物語である。この物語はファンタジーでありながら読者の期待に背き、読者が行ってみたいような世界を描くのではなく、時には読者が慣れ親しんだ現実にいやらしい位近いものになる。
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