高速貨物とカリフォルニア・ゼファー、1950年から1983年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/19 17:31 UTC 版)
「デンバー・アンド・リオグランデ・ウェスタン鉄道」の記事における「高速貨物とカリフォルニア・ゼファー、1950年から1983年」の解説
最終的に財務上の問題から解放されて、この時点でD&RGWはデンバーからソルトレイクシティまでの直接経路を所有しており、プエブロからテネシー峠を通る南の迂回路はもはや直接輸送に必要ではなかったが、まだ問題は残っており、大陸横断輸送にはユニオン・パシフィック鉄道のより北にある路線の方が山がそれほど険しくなく、結果として数時間高速であった。D&RGWの対策は「高速貨物」で、数両のディーゼル機関車が短い列車を牽いて頻繁に運行することであった。この方針が、なぜD&RGWがアメリカでももっとも豊かな炭鉱地帯に近い場所を運行しているにもかかわらず、新しい代替のディーゼル機関車を購入でき次第、石炭を燃料とする蒸気機関車を退役させたかの理由である。1956年までにD&RGWの標準軌の蒸気機関車は全て運用を外れ解体された。この理由として、蒸気機関車と異なりディーゼル機関車は総括制御の技術により簡単に重連にでき、D&RGWの積極的な運行ダイヤに合わせるために必要な最適な出力を各列車に持たせることができたためである。 地形的に独特の環境を走るというD&RGWの印象は、おそらく世界でもっとも有名な旅客列車であるカリフォルニア・ゼファーに現れている。シカゴからデンバーまでのシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道と、ソルトレイクシティからオークランドまでのウェスタン・パシフィック鉄道、そして船とバスの連絡でサンフランシスコまで、共同運行されていた。ユニオン・パシフィック鉄道のそれほど険しくない路線を走る所要時間39時間の列車とは競争できなかったため、カリフォルニア・ゼファーはロッキー山脈の眺めを存分に楽しめるレール・クルーズというゆったりした旅を提供した。カリフォルニア・ゼファーは1949年の開始から1950年代を通して満席で走りいくらかの利益を生み出していたが、1960年代半ばには春の末期から夏、秋に掛けてのみ利益が出せる状態になっていた。1970年には、ウェスタン・パシフィック鉄道が数百万ドルの損失に文句をいい脱落した。しかしながらD&RGWはアメリカ全体の長距離旅客鉄道の運行を続行するために設立されたアムトラックに参加することを拒否し、カリフォルニア・ゼファーの設備の持分を使ってデンバーからソルトレイクシティまでリオグランデ・ゼファーの運行を1983年まで続行した。 他の大陸間横断鉄道事業者と競争するために、D&RGWは最新の標準軌の鉄道技術を利用してはいたが、同時にD&RGWは有名なデュランゴ - シルバートン間のように、蒸気機関車による狭軌の鉄道路線の運行を続けた。多くの残った狭軌の鉄道は1960年代から1970年代にかけて廃止されたが、景観に優れた2つの路線は観光目的の鉄道事業者に売却され、今日でもクンブレス・アンド・トルテック・シーニック鉄道とデュランゴ・アンド・シルバートン狭軌鉄道として運行されている。
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