高速試験運転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 22:31 UTC 版)
「国鉄キハ07形気動車」の記事における「高速試験運転」の解説
本形式での流線型採用の背景の一つとして、流線型ブームと共に、ドイツ帝国鉄道(DR)が「フリーゲンダー・ハンブルガー」として知られる一連の電気式気動車による高速インターシティサービスを展開して大成功を収めていたのに当時の鉄道省が刺激され、気動車の高速運転を検討していたことが挙げられる。 そのため、本形式はその竣工直後の1935年6月18日から20日にかけて名古屋 - 大阪間で、7月15日・16日に、超特急「燕」に続行する形で東京 - 静岡間でそれぞれ高速試運転を実施し、東京 - 静岡間ではキハ42000+キハ42003の2両による試運転列車が表定速度86km/h、最高速度108km/h(沼津-静岡間で到達)を記録、一度は小田原で先行する「燕」に追いついてしまうなど、気動車による高速列車運行の可能性を示唆した。 その一方で、機械式ガソリンカーの協調運転には問題が多いこともこの時点で既に指摘されており、結局本形式による正式な高速運転の実施は断念された。このため以後、総括制御の可能なキハ43000形電気式ディーゼルカーや液体式変速機などの技術開発が進められたが、これらも戦局の悪化による燃料統制で中止となり、開発途上にあった液体式変速機や、ほぼ完成段階にあった試作標準型ディーゼル機関はそのまま戦後まで各地の工場で放置された。
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