高橋氏文の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 12:33 UTC 版)
一方、膳氏(かしわでうじ)から派生した高橋氏の手になる『高橋氏文』においても、安房神社祭神に関する説話が記されている。『本朝月令』所引『高橋氏文』逸文によれば、景行天皇53年10月に安房浮島宮に至った景行天皇(第12代)に対して、磐鹿六獦命(いわかむつかりのみこと:膳氏遠祖)が堅魚・白蛤(うむぎ:ハマグリ)を膾・煮物・焼物にして献上した。天皇はこれを誉め、永く御食を供進するように命じ、また六獦命に大刀を授けるとともに大伴部(おおともべ)を与えた。さらに諸氏族・東方諸国造12氏から枕子(赤子)各1人を進上させ六獦命に付属せしめた。そしてこの時に上総国の安房大神を御食都神(みけつかみ、御食津神)として奉斎したが、この神は大膳職の祭神でもあるという。 是時上総国安房大神乎御食都神止坐奉天。(中略)安房大神為御食神者。今大膳職祭神也。 — 『本朝月令』所引『高橋氏文』逸文 『日本書紀』にも同様の伝承が簡略的に見え、やはり安房に至った景行天皇に対して磐鹿六鴈が白蛤を膾にして献上し、その功で六鴈は膳大伴部(かしわでのおおともべ)を賜ったという。また『古事記』においても、六鴈の記載はないものの景行天皇のときに「膳之大伴部」が定められた旨が記されている。 このように古代の安房地方は膳氏および高橋氏と密接な関係を持ち、天皇の食膳調達(特にアワビの貢納)にあたる部民氏族の膳大伴部(かしわでのおおともべ、大伴部)、およびその在地統率氏族の膳大伴直(大伴直/伴直)が分布したことが知られる。この膳大伴直・膳大伴部の人物名は国史(後述)・『先代旧事本紀』・平城京出土木簡に散見される。特に阿波国造(安房国造)も同氏族の大伴直(伴直)一族として見えることから、安房神もこの一族の奉斎神であったと考えられている。その具体的な神格については、『高橋氏文』逸文で磐鹿六鴈命は死後に宮中の膳職に祀られたと記述されることを基に磐鹿六鴈命であった可能性を指摘する説の一方、元来は神格を持たない安房地方の一地方神と推測する説がある。 上記伝承に関連する史料として、『延喜式』神名帳では宮中の大膳職坐神三座のうちに「御食津神社」の記載がある(「宮中・京中の式内社一覧」参照)。天平3年(731年)の格で「阿房の刀自部(あわのとじべ)」に「膳神(かしわでのかみ)」を祀らせるようにとあることから、古くは安房地方の女性(刀自)が上京してこの膳神(御食津神)の祭祀を担ったとされ、この記述が『高橋氏文』の記す安房神の宮中勧請の傍証とされる。この宮中勧請は在地神々による天皇への奉仕および朝廷による在地祭祀の吸収を表すことから、服属儀礼の1つといわれる。なお、上記の安房地方の女性祭祀集団(巫女集団;国造一族出身女性か)が神格化されたのが、『延喜式』神名帳に見える「后神天比理乃咩命神社」になるとする説もある。
※この「高橋氏文の記述」の解説は、「安房神社」の解説の一部です。
「高橋氏文の記述」を含む「安房神社」の記事については、「安房神社」の概要を参照ください。
- 高橋氏文の記述のページへのリンク