高権三教授のアリラン説
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韓国のアリランの代表的な研究説とされる「アリラン基本6説」の内一つ「啞耳聾(アイロン)」説を唱えた人物。日本統治時代、この「啞耳聾(アイロン)」説に関する著書を何度も出版しようとしたが日本の検閲を通ることはなかった。1947年になってようやく、朝鮮新報社出版の「朝鮮政治史」の第4編で世に送り出すことが出来た。この「啞耳聾(アイロン)」説で「アリラン」は、朝鮮時代初期に発生したものであるという見解を示した。それは、ヨーロッパルネサンス運動が当時の清を経て朝鮮半島にも普及されたという独自の視点から出たものだった。「アリラン」は、民族の抵抗精神を主張する歌曲であると述べている。高麗王朝滅亡から朝鮮王朝の幕開けとなったこの時代、多くの血が流された易姓革命への反骨精神が「アリラン」の語源だという。 ※この時韓国全土では、高麗王朝の血統「本貫・開城王氏」の粛清が徹底的に行われていた。では、この「啞耳聾」とは何か? 「啞」とは喋らない・「耳」とは聴かない・「聾」は聞こえない。この「啞耳聾」は、“生きにくい世を生き抜くために、自ら話さず、耳はふさいで何も聴かない聞こえない”という意味を持つ。キム・ジヨンの「朝鮮」(1930年)と「朝鮮民謡アリラン」(1935年)の中に出てくる言葉である。ここから教授の「啞耳聾(アイロン)」主義研究が始まった。この説をさらに深めるための資料文献を1921年光州で知り合いに提供してもらったが、日本の警察に没収されたという。「アリラン」に出てくる峠とは、歴史的困難であり「啞耳聾」主義はこの困難を乗り越えるための現実的行動原則であった推測される。また、教授はこの「啞耳聾」主義はインドガンジーの無抵抗主義と同一でないと主張する。「啞耳聾」主義には、積極性がありその象徴が3.1独立運動のような実質的行動にも繋がったという。著書で教授は、次のように結論付けている。 「啞耳聾」主義は、非暴力、非共同以上に政治的価値があり、文化的にも進歩するほどにさらに輝きを増す。朝鮮「啞耳聾」主義は、ガンジーの無抵抗主義とは一線を画し、その根本に積極性があることが更なる価値なのだ。「啞耳聾」主義は、政治上偉大な存在であり、朝鮮政治史をさらに進化させる文化的要素でもある。「啞耳聾」主義哲学とは平和主義哲学である。平和なくして建設はなく、建設なくして文化はない、文化なくして幸福が訪れることもない。このことから、我々韓国国民は真の平和の使いであり、人類平和の指揮者であると私は思う。
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